月刊日本に掲載された『故盛田昭夫が遺した神社が裁判に』掲載について

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月刊日本に掲載された『故盛田昭夫が遺した神社が裁判に』掲載について

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2019/12/28 月刊日本に掲載された『故盛田昭夫が遺した神社が裁判に』掲載について

先日、月刊日本に掲載された記事を掲載いたします。

 

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高山住男の『月刊報道特集』82

故盛田昭夫氏が遺した神社が裁判に

ソニーは盛田昭夫氏(1999年没)が願主となって建てた鎮護神社(以降、神社)を2018年4月と5月にかけて解体。神社建設と祭司を担ってきた常陸国出雲大社(高橋正宣宮司)から2018年12月、「神殿現状回復等請求」訴訟を起こされた。訴訟では〈取り壊した神社の回復。常陸国出雲大社に1億円。高橋宮司にも同額〉の賠償支払いを求められている。

対するソニー側は準備書面で〈原状回復請求は趣旨自体特定を欠き失当〉などと反論している。

原告は訴状で〈被告の旧本社ビル先端部分の土地に神殿をつくる案が検討されたが、膨大な出費が見込まれるたため、ソニー会館と井深会館の間の土地に神殿を建立することを決定。…本件神殿は平成5年5月完成。5月6日に神殿祭、遷座祭を高橋宮司が行った。5月7日には物故社員招魂慰霊祭を行っている…〉と願主であった盛田氏の篤い信仰心を語っている。ソニー広報によれば神社は、物故社員の御霊を祭る神殿。慰霊祭は毎年5月に行ってきた。神社は、取り壊したのではなく、施設の立地見直しを行い、社有地の別の場所へ移設した。場所は言えない。対外的に神社に関して広報しない。社員の多くは、神社の存在を知っていると説明した。

知られる通りソニーは弱電を筆頭に先端技術を製品化した「Nippon made」を代表する企業群を束ねるホールディング会社。故盛田昭夫氏は同社の創業者の一人で、今日の企業基盤を築いた功労者。

しかし、アナログからデジタルへ時代が転換した産業界は、新興企業でも独自の価値をユーザーに売り込むことに成功すれば、簡単に飛躍できるようになった。ソニーが築き上げた実績が通用しない局面がでて大幅な体質強化が図られた。原告の言う神社の解体は、こうした経済変動下で発生している。

そもそも、神社の建立は故・盛田氏からの高橋宮司に持ち掛けられて実現した。高橋宮司によれば、「盛田氏から『事故や病気に倒れる者が絶えない。安全・安寧を得るため、神社を建てたい』と相談され、高橋宮司は一度断ったが、盛田氏から『担当者を決めた』と再度熱心な依頼があって、神社建立は実現した」という。盛田氏が神社の建立に熱心だった背景には、現職社長の急逝、役員の事故、物故、関係者の不振や倒産などが続いていた、とされる(年表参照)。

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 1993年以降継続されてきた高橋宮司によるソニー物故者の慰霊は盛田氏の死去後も継続していたが、2015年3月に盛田夫人が死去する前後から、慰霊行事などへの高橋宮司の参加を拒否するようになった。高橋宮司は「盛田夫人はお亡くなりになる直前、『末永く祭忌を続けて欲しい』と依頼され、承諾した」と主張している。

 2018年4月、ソニーは高橋宮司抜きで地上部分と地下部分からなる神社の地上部分を解体した。

 原告・常陸国出雲大社の高橋宮司は提訴の理由を、「本神社はソニー創業の一人、盛田会長(当時)が会社創立の精神である全員一致の精神が永久に引き継がれ、すべての人が悔いなく健やかな人生を全うできるよう祭神・大国主大神に大願意を奉じた。向こう200年にわたり守り給えと神社での忌祭を私に託した。本来の訴人は盛田さんのはず」と主張した。

 宮司立会いの下、神社の地下、石櫃の掘り起こしで、金・銀貨のほか宣誓ともいうべき誓約証文と宗教行事に欠かせない具物が取り出された。

 世界市場で競争中のソニーは、創業の一人である故盛田昭夫氏が遺した信仰の拠り所の取り扱いを巡って係争を抱え込んでしまった。信仰という、法に馴染みにくい課題は争点整理を経て審理が間もなく始まる。

 

 

 

 

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