2021年秋季号「宗教問題」に【ソニー神社と出雲大社教の内情】として掲載されました

宗教法人 常陸国出雲大社

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2021年秋季号「宗教問題」に【ソニー神社と出雲大社教の内情】として掲載されました

社務所ブログ

2021/12/01 2021年秋季号「宗教問題」に【ソニー神社と出雲大社教の内情】として掲載されました

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迫真レポート◆常陸国出雲大社VSソニーグループ

「ソニー神社」なるものにからむ出雲大社教と常陸国出雲大社の戦

評論家 本郷四朗

 

「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする」

10月27日、東京高等裁判所の法廷内で、裁判官の声がそう淡々と響いた。常陸国出雲大社(原告)という宗教法人と、ソニーグループ株式会社(被告)の間で争われている裁判の、2審判決だった。裁判が始まったのは2018年12月。1審に続きこの2審も、結果としては被告側の勝訴という形になった。

被告のソニーグループとは言うまでもなく、携帯音楽プレーヤー・ウォークマンや、ゲーム機・プレイステーションで知られる大手電機メーカー。一方の原告、常陸国出雲大社とは、茨城県笠間市にある神道系の単立宗教法人である。ただ、「出雲大社」と言えば一般には、島根県出雲市にある同名の神社を想起する人が多いだろう。この両者の関係に関しては後述するが、ともかくこの裁判は、ソニーと常陸国出雲大社の間で、「ソニー神社」なるものをめぐって引き起こされたものだった。”2つの出雲大社”と天下のソニー。ここにいかなる問題が生じ、裁判にまで発展したのか。これまでの流れをレポートしたい。

「盛田昭夫さんに直々に頼まれたんですよ。ソニーの関係物故者を祀る神社を作りたいと」

そう語るのは、常陸国出雲大社の宮司である、高橋正宣氏。氏の語る盛田昭夫氏(1921~99)とは周知のように、ソニーの創業者で、同社の社長や会長、また経団連副会長などを歴任した、戦後の日本を代表する経済人である。

高橋氏が盛田氏と、知人の紹介で初めて会ったのは、1991年の年末ごろのこと。そのころ盛田氏は、自社や取引先にさまざまなトラブルや不幸が続いていたことに胸を痛めており、ある種の”宗教的な救い”を求めていたのだという。「それで最初は、『社員の事故や病気が多いので、企業としての墓か記念碑などを作れないか』と相談されたんです。しかし、私としてはそういうものを作っても、あまり意味がないのではないかと感じ、最初は断ったんですよ」(高橋氏)

だが、高橋氏の元には続けて盛田氏からの相談が持ちかけられ、遂に当時、東京品川区にあったソニー本社の敷地内に、同社の関係物故者らの霊を祀る神社を建立する話がまとまったのだという。

なお、トヨタ自動車の「豊興神社」や、JR東日本の「鉄道神社」など、日本の企業が自社の敷地内に、商売繁盛や関係物故者慰霊などのため神社を建立する事例はそれなりにある。この盛田氏の”神社建立構想”それ自体は、決して奇異なものとは言えない。

高橋氏の協力によって、ソニーの敷地内に神社が完成したのは、1993年5月のこと。以後、毎年の5月に、高橋氏によって慰霊祭が執り行われてきた。いつしかその神社は、関係者らから「ソニー神社」と呼ばれるようになっていった。

しかし、いったいその神社をめぐってなぜ、ソニーと常陸国出雲大社が裁判をするまでの展開になってしまったのか。

盛田氏没後の解体

盛田氏は、このソニー神社を非常に気に入っていたのだという。「未来永劫、この神社をお祀りしていきたいというのが、盛田さんのご希望でした。ただ、ひとまずの区切りはいるだろうということで、『今後、200年にわたって神社を守っていってほしい』と、私との間で約束が取り交わされたのです。それに関する証文もつくって、ソニー神社の地面の下に、埋めてあったんですよ」(高橋氏)

ところが盛田氏は1993年11月、脳内出血で倒れ、経済の第一線から引退。99年に死去する。高橋氏によると、それに伴って毎年5月の慰霊祭に出席するソニー関係者は、減少の一途をたどっていく。ついには盛田氏の未亡人・良子氏が死去した2015年、高橋氏はソニー側から、「今後の慰霊祭は委託しない」と告げられたのだという。

実は、ちょうどこの流れと並行してソニーで進んでいたのが、本社移転事業だった。ソニーは2007年、それまでの東京都品川区から同港区に本社を移転。旧本社関連の不動産などの売却が実行されていく。そお流れのなかで18年、ソニー神社も解体されてしまう。

「こんなことが許されていいのでしょうか・盛田さんの思いを踏みにじるものです。それでソニー神社の守りを任されていた常陸国出雲大社として、ソニーグループに神社の『原状回復』を求める裁判を、東京地方裁判所に対して起こしたのです」(高橋氏)

2018年12月のことであった。

この裁判の1審判決が出たのは、2020年10月21日のこと。争点はさまざまであったが、東京地裁の裁判官は「本件神殿(ソニー神社)は、被告(ソニーグループ)が所有する土地上に、被告が建設資金を支出して建設したものであり・・・・・被告常陸国出雲大社(出雲大社)の宗教施設として届け出られていない」などのことを理由に、常陸国出雲大社側の主張をしりぞける。つまりはソニーグループ側の勝訴であった。

常陸国出雲大社はこれに控訴し、それもまた東京地裁でソニーグループの勝訴となったのは前述の通り。ただ常陸国出雲大社・高橋氏は、この流れに関して「何かがおかしい」と言うのである。

実はこの裁判のなかでソニーグループ側は、「ソニー神社の建立、運営に関して、常陸国出雲大社および高橋氏と何か特別な関係を結んでいた事実はないので、このような裁判を起こされるいわれはない」といった趣旨の主張を展開。裁判所からも、概ね認められている。どういうことなのか・これには、常陸国出雲大社の来歴が大きく関係してくる。

常陸国出雲大社がある茨城県笠間市の観光協会ホームページには、同神社に関して次のような紹介文が掲載されている。<島根県出雲大社より分霊し、平成4年に建立された神社。・・・・・平成26年に単立宗教法人として新たな歩みを始めました>

実はこの神社の歴史は浅く、また単立宗教法人となったのも、かなり最近のことなのだ。それ以前、常陸国出雲大社は島根県出雲市に本部を置く「出雲大社教」という教団に所属しており、名前も「出雲大社常陸教会」といった。

出雲大社教の存在

島根県出雲市の出雲大社は、宗教法人法的な観点から見た場合、やや特殊な立ち位置にある神社だ。出雲大社それ自身は、全国約8万の神社を統括している神社本庁の所属なのだが、出雲大社の境内には、前出の出雲大社教という別の教団組織が存在し、神社本庁とはまた違った、独自の宗教活動を展開している。

神社本庁は、戦前の国家神道体制を歴史的な系譜上、引き継いでいる組織である。その国家神道体制は、天照大御神を祭神とする伊勢神宮(三重県伊勢市)を重視するグループが、主流を占めていた。このなかで出雲大社系の神職たちは、自分たちの祭神・大国主大神を重視する立場から伊勢派と対立。その考えの上に1882年、出雲大社宮司家出身の千家尊福が「出雲大社教」という新教団を設立し、今に至っている。

前述のように、2014年まで常陸国出雲大社は、この教団所属の教会であり、高橋正宣氏も、その教会長という立場だったのだ。

それがなぜ、独立することになったのか。ある神社関係者の言。「常陸国出雲大社の高橋氏は、評価はともかく”やり手”。例えばいま、”新しいスタイルの墓地”として樹木葬(墓石の代わりに樹木を墓標とする墓地)というものが流行っているが、かなり以前からこれに着目して墓苑開発をし、参拝者や崇敬者を増やした。出雲大社教は東日本には拠点が少なく、高橋氏は関東方面では、まあ出雲大社教の”顔役”みたいな感じでさえあった。

しかし、要するに”やっかみ”があったんだな。2013年、高橋氏は外部企業や大相撲力士とタイアップした、御祈祷を施したペンダントの授与を始めた。さすがの”やり手”ぶりだったが、出雲大社教本部が『規則違反だ』みたいなことを言い出し、それでこじれて『常陸国出雲大社』として独立したんだよ」

現在、出雲大社教のホームページを見ると、「ご注意下さい!紛らわしい団体」というコーナーに、「下記の団体は、出雲大社、出雲大社教とも全く関係の無い団体です。お間違えのないようにお願いを申し上げます。所在 茨城県笠間市福原 宗教団体名 常陸国出雲大社」なる記載があり、相当な”遺恨”の深さを感じさせる。常陸国出雲大社側は、こうした出雲大社教の行動を営業妨害のように感じ、裁判所に訴え出ている状況だ。

さて、ソニー神社の話に戻る。常陸国出雲大社・高橋氏は、「ソニー神社の建立や祭祀は、私が盛田氏と話し合って行っていたもの。出雲大社教本部の関与はほとんどなかった」と主張する。一方でソニーグループは裁判のなかで、ソニー神社の建立、運営については出雲大社教本部とさまざまな折衝を行ってきた経緯があり、”出雲大社教との関係”は認めるが、”高橋正宣氏との関係”は特にない、という主張を行っている。両者の意見は真っ向から対立するが、現状で裁判所は、おおむねソニーグループ側の主張を認めている。

これに関して高橋氏は、「出雲大社教がソニーグループと手を結び、常陸国出雲大社に圧迫を加えている可能性がある」と憤る。なお今回、本誌はソニーグループと出雲大社教に取材を申し込み、”対・常陸国出雲大社”で共闘している事実はあるのかと問うてみたのだが、双方ともノーコメントとのことだった。

ただ、常陸国出雲大社としては今後、ソニー神社の問題にどう向き合っていくのか。ひとまず上告はして、最高裁まで争う方針だという。しかし、高橋氏はこうも言う。「現在、社務所内の仮御魂殿で、盛田昭夫さんはじめ、ソニー物故者の名簿霊璽を安置奉斎し、日々慰霊をしています。最終的には常陸国出雲大社内に、ソニー神社の建立を行うつもりです」

ところで気になる点がある。今回本誌としてソニーグループに問い合わせたところ、ソニー神社は「(現在の)本社の屋上に移設しております」(広報部)というのだ。ソニー神社は運営のあり方はともかく、いまなおソニー社内に現存する。

するとこの裁判は、”2つの出雲大社(教)”と”2つのソニー神社!の未来を、左右するものとなるか。

 

ほんごう・しろう

◎1960年生まれ。東京大学卒業。会社員生活をしながら、教育、宗教分野に関する評論活動を行う。

 

 

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