我ら立てり

宗教法人 常陸国出雲大社

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我ら立てり

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宗教法人常陸国出雲大社(ひたちのくにいずもたいしゃ。これから「当社」と略称することがあります。)は、平成26年9月16日、宗教法人出雲大社教の包括団体参加を脱し、単立の宗教法人として誕生いたしました。
ご祭神は大国主神であります。我が国土開闢以来、顕幽を統べる御神は大国主神の他にはありません。大国主神は当社がこの地に御社を建立した平成4年12月にお迎えの遷座をお願いしたことにより、当社に遷座されました。客殿には五柱鎮座されています。
我ら常陸国出雲大社は大国主神のもとご神慮を奉斎し、顕幽一如を求め功徳神慮の教えをひろめてゆくものです。
ところで、現在(平成27年3月16日)出雲大社のウェブページにアクセスすると、そのトップページに「無関係の宗教団体について(重要なお知らせ)」との表示により、「常陸国出雲大社」について下記の宗教団体は出雲大社並びに出雲大社教とは全く関係のない宗教団体ですとの表示がなされています。
我ら常陸国出雲大社は、当社が単立団体として誕生したいきさつについては、進んで明らかにする意向もありませんでしたが、ウェブページ、機関誌「幽顕」における品格を欠く扱いに全国の出雲大社信徒に誤解を生じることも本意ではありませんので、我らがなぜここに至ったものかの説明を本ウェブページで明らかにするものです。

1ことの発端は平成25年10月22日付で出雲大社教教務部本庁松井惠治教務部長より当社に届けられた通告文でした。内容は以下のとおりです。

先般、貴教会が■■■■■■■■■が行う販促キャンペーンの景品のご祈祷を行っているとの情報が掲載新聞と共に本庁に寄せられました。
その新聞広告には「出雲大社常陸教会ご祈祷」と掲載されていましたが、「出雲大社」を強調したロゴデザインは、ご祈祷はあたかも宗祠「出雲大社」が奉仕と勘違いされかねないものであり、そこには貴教会の意図も感じられます。
神社本庁より昭和五十四年にだされました通達「神符守札のお取扱いについて」ではその中で、「神符守札を一般商品の付加品としたり、宣伝の材料として利用させてはならない。」との条文があります。今回の場合、直接神符守札を扱っている訳ではありませんが、「出雲大社」の名が企業宣伝に利用されていることに変りはありません。
神社本庁はその通達の徹底を計るために、平成八年、同二十三年にも同様の通達を出しています。さらに神社本庁の機関誌とも言える「月刊若木」の二十一年三月号の巻頭言では「神符守札と商行為」と題して、

・・・昨年の暮れから神社本庁には神社関係者をはじめ一般企業より、神符守札に関する問い合わせが殺到してゐる。企業からの主な照会事項は、節分、受験シーズン等に合せ、厄除け・合格祈願に関はる商品を神社と共に開発することの是非に関する内容である。中には、神社本庁との共同開発の提案さへあつた。また神社からの照会事項も同様に、企業から持ち込まれた商品を「祈願済」として神社名を明記して販売することの是非に関するものである。景気後退お中にあつて、神さまに祈らうとする企業側の神社に寄せる信頼を拒否するわけではない。一方、神社をお預かりする者として、奉仕する神社の社名を商品に冠することにより、多くの人々に神社を知って戴き、教化・広報活動の有効な方途と成り得るのでは、と期待する神職の立場も理解は出来る。おそらく各神社には、平素より類似の依頼は多くあらう。場合によつては、氏子の営む企業からの依頼で苦慮することもあると思ふ。しかし、氏子・崇敬者の多くは、昔からの伝統と信仰を護持してゐる神社の姿に信頼を寄せ、安心を得てゐることを忘れてはならない。

と、全国の神職に向けて、神社の宣伝よりも、おまつりする御祭神と神社そのものの尊厳を守ることが神職の本義と自戒を求めています。
神社ではなくとも「出雲大社」の名を冠している以上、おしえのにわも当然この通達を厳粛に受け止めなくてはなりません。このままでは宗祠「出雲大社」が神社本庁の通達を無視したと捉えられてしまいます。
昨年には、某教会長による飲酒運転事故があり、「出雲大社」の名を戴いていることの責任をあらためて強く自覚をするように通達が出されましたが、宗祠「出雲大社」が御遷宮によって社会的にも大きな注目を受けているときに今回の貴教会の行いは余りにも軽率な行為と言わざるを得ません。
即刻景品のご祈祷を取り止め、該当の広告が今後掲載されないように手続きを踏むと同時にホームページからも削除し、また本広告が掲載される至った経緯について文書にて至急お送り下さい。

早々
平成二十五年十月二十二日
出雲大社教
教務部長松井惠治

出雲大社常陸教会
教会長高橋正宣殿

(以上カッコ内青字が原文)

2当社が■■■■のキャンペーンに協力しているが、神社本庁はこのような行為を通達で禁止しているからやめよというものです。
しかし、出雲大社の教師は神社本庁と布教活動で長年たたかってきた間柄であり、出雲大社が神社本庁の風下に立って宗教活動を自粛することは心情的にできないことでした。そこで、当社はやむなくこれに次のごとく心情を述べました。

前略貴教務部長からの平成二五年一〇月二二日付文書を拝見致しました。
貴文書によりますと、当教会が■■■のキャンペーンにご祈祷したことについて、「出雲大社」が神社本庁の通達を無視したかに捉えかねないと危惧されています。しかしながら、神社本庁は、貴文書にも指摘されていますように、神符守札と企業活動のあり方については注意深く検討されているように見受けられますので、本件キャンペーンのご祈祷が「出雲大社」によって行われたと見ることは百パーセントありえないことと思われます。と申しますのは、神社本庁はこの問題について、あれ程厳しく言っているのに、誰がキャンペーンのご祈祷を行っているのかよく確かめもしていないのかとのそしりは絶対に受けたくないはずだからです。従いまして、本件は、当教会との名称を出してご祈祷していることは明らかですので、神社本庁が「出雲大社」に対して、通達を無視したと捉えることは全くありません。
そして、貴教務部長におかれても、十二分にご承知のとおり、当教会そのものは、神社本庁の教えや通達を遵守すべき立場にありません。遵守すべきは出雲大社教の教義であります。
出雲大社教においては、「博愛慈育」を掲げており、今回のキャンペーンの■■■■■■■のお人柄とご縁とのむすびつきは、企業の活動とはいえ、その醸し出すイメージは、出雲大社教のあたたかな「博愛慈育」の教えを広めることに大きな後押しをしてくれるものではないでしょうか。多くの方があたたかい目で■■■■のショットを見ていただけているものと確信しています。これによって、とりも直さず多くの方が出雲大社教に好ましいイメージを持っていただけるのではないでしょうか。
本ご祈祷の経緯につきましては、■■■■より当教会の大鳥居建立に際し奉納戴いた時にはじまり、度々祈祷戴き、神恩感謝の意味を含め、少しでもお役に立てればと思い、祈祷ご依頼を受けて慎重に精査をしてお受けしたものです。■■■■も■■■■の時に当教会にお見えになっておりました。
右のような次第ですので、当教会はこのご祈祷により通例のご祈祷料をいただいているのみで、神社本庁が通達で詮索なされるような企業活動によって収入を得たということも全くないのです。
貴文書中には、これら当教会の弁明すら一度も聞かずに、当教会に対し即刻ご祈祷をとりやめ、広告を掲載されないようにしろの命令文が記載されていますが、広告の掲載中止は大きな事態です。
■■■■は本キャンペーンのために、従前の商品を全て処理して新しいキャンペーン商品に商品の入れ替えなどをはじめ、そのコマーシャルなどについても莫大な資金を投入しています。もし、本キャンペーンが当教会弁明も聞かない貴教務部長命令によって中止と言う事態になった場合、当教会は到底その賠償をなしうる能力もありませんので、貴教務部長においてこの収拾を図っていただく事態ともなりかねません。
よって、本件は万端の事情をお汲みの上、慎重なご配慮をお願いする次第です。
もしご必要でありますならば、当教会教会長がご説明に赴く所存でありますことを申添えるものであります。

草々
平成二五年一〇月二八日
出雲大社常陸教会
教会長高橋正宣

出雲大社教
教務部長松井惠治様

(以上カッコ内青字が原文)

神社本庁の教えや通達は受入れ難いとする内容でした。

3これについて更に教務本庁から出雲大社の名が利用されているので厳重注意を行うというものであり、以下のとおりでした。

高橋教会長のお手紙確かに拝見致しました。
しかし残念ながら、私の趣意はつたわっていなかったようです。
「神社本庁から指摘を受ける恐れはないから大丈夫」「教会は神社本庁の指導を受けることはない」とのことですが、それがまず教師としての資質をうたがわれるところです。御分霊を拝受し、出雲大社、出雲大社教の指導を受ける立場であることをどのように考えているのか、問題にたいする思考が破綻しその反省がまったくないことを非常に残念に思いました。
また「祈祷ご依頼を受けて慎重に精査をしてお受けした」とありますが、「慎重に」とあるならば依頼を受けた時点で何故教務本庁あるいは東京出張所に対して相談がなかったということもあり、逆に慎重を欠いたと言わざるを得ません。本庁にその話しがあれば当然断るように指導しました。「弁明すら一度も聞かずに」命令文を送付されたと不満がありますが、そもそもこの全国版の商業広告に「出雲大社」の名を使うという大事を、事前に何の相談も無しに事を進めておいてその言葉は独りよがりの身勝手なことです。
前送のお手紙でも書きましたが「出雲大社」と冠している以上、世間はそれを「出雲大社」が行っていることと見なします。神社関係者、教会講社関係者でなくとも大神様を信奉する方から今回の件について大国主大神様様の尊厳の護持の怠慢を指摘されます。
今回の件については高橋教会長からの返書も含め上司に報告をしております。上司より、ここで無理に景品のご祈祷を止めさせ、広告の停止もしくは変更させることは■■■に多大なご迷惑をお掛けすることになるから、今回は常陸教会への厳重注意に止めるようにとのご指示がありました。
就いては次の如く厳重注意します。
一、「出雲大社」の名称の扱いは、大国主大神様の御神徳の尊厳護持に直接関わることをよくよく肝に銘ずること。
一、常陸教会のホームページから■■■の広告を削除すること。
一、今後、同様の行為を一切しないこと。
一、企業団体等から商品またそれに関わる全てのものについてのご祈祷などの依頼がある時は、事前に教務本庁に伺いをたてること。
一、■■■と出雲大社常陸教会で取り交わされた契約書の写しを至急送付すること
一、 契約書内容よっては注意事項が増えることを弁えること。

平成二十五年十一月十二日

出雲大社教
教務部長松井惠治

出雲大社常陸教会
教会長高橋正宣殿

(以上カッコ内青字が原文)

4我らは更に出雲大社の教師布教活動は神社本庁関係者から目の敵にされ(出雲大社の全国への布教活動は必然的に地域神社のテリトリーに入っていかざるをえず、対立状態になることもまれではなかったのです)、門付け乞食といわれてまでも布教してきた先人の労苦を思うと、これを否定するようなことはできないと以下のとおり回答しました。

前略貴教務部長からの平成二五年一一月一二日付書面(以下「本書面」と述べます。)を受領致しました。内容は当教会に対する厳重注意を含む六項目の要請であります。
貴教務部長は、前回書面において、■■■■についての当教会のご祈祷が宗祠「出雲大社」の奉仕と勘違いされかねないので、宗祠「出雲大社」が神社本庁の通達を無視したと捉えられてしまうと指摘をされました。そこで当教会は、これに対し、そのおそれは百パーセントなく、当教会は神社本庁の教えや通達を遵守すべき立場にはないと述べたことについて、本書面は、それが心得違いであることを述べんとしたものであると拝察致しました。本件は、神社本庁が出発点となっており、この問題は、当教会を含む各教会、支教会、講社、支部、教徒、信徒が布教活動を行う際の基本的理解にかかわると思われる事項を含むものと思いますので、次のご教示を仰ぐものです。
まず、本書面は、当教会が神社本庁の教えや通達を遵守すべき立場にないと述べた点について、ご分霊を拝受し、出雲大社出雲大社教の指導をうける立場であることをどのように考えているのか、問題に対する思考が破綻していると反論されています。
当教会は、前回書面で、遵守すべきは、(神社本庁通達ではなく)出雲大社教の教義ではないかと述べましたので、貴見解によれば、神社本庁通達と出雲大社教教義とが矛盾した場合には、神社本庁通達を優先させよということなのでしょうか。すなわち、神社本庁通達は、出雲大社教教義の上位規範として位置付けるということなのでしょうか?
貴見解によれば、神社本庁通達を遵守すべき根拠として、当教会が宗祠出雲大社のご分霊を拝受し、出雲大社、出雲大社教の指導を受ける立場にあることをあげていますが、この意味するところは、出雲大社教が神社本庁自体を特立する立場に置くということでしょうか。
次に、神社本庁との関係ですが、当教会は、他教会とともに宗祠出雲大社特立の礎であり、宗祠出雲大社のご分霊を鎭祭しておりますが、神社本庁とはこのような関係に立つものではありません。
神社本庁の法人設立の目的は次のとおりであります。
神宮を本宗として、神社神道を宣布し、祭祀を執行し、斯の道を信奉する者を強化育成し、神宮の奉賛及び大麻の頒布をし、神職を養成し、図書を発行頒布し、その他神社の興隆を図るため、並びに神宮及び神社(宗教法人たる神社庁を含む)を包括するために必要な業務を行ふ。
本庁はその目的達成に資するために祭祀及び教化に必要な図書、物品の販売、並びに神社参拝を奨励するための旅行のあつ旋の業務を行ふ。」
ちなみに、出雲大社教設立の目的は次のとおりであります。
「この法人は大国主神が神代ながらに鎮まります出雲大社を宗祠とし、大国主神の神慮を奉載して教義をひろめ、神殿及び祖霊殿を設けて祭典儀式を行い、宗祠及び教会を包括して、信者を教化育成しあわせて出雲大社の神札を頒布しその他この教派の目的を達成するための業務及び事業を行うことを目的とする。」 まず、神社本庁の目的は「神宮を本宗とする」ことが内摂されています。
この「神宮」ということについて、出雲大社教神道青年会が出版した「縁むすび―――大国主大神とわたくしども」という本の中に、「神宮といえば伊勢。大社といえば出雲。私共は、この言葉をいとも簡単に思いうかべることができます。」に続いて、これは出雲の伝統、権威もさることながら、社家の努力にもよっていると記されています(三七頁)。
出雲大社教神道青年会風の理解によれば、神社本庁の設立は伊勢神宮を宣布する目的とみてよいということなのではありませんか。その神社本庁が出した通達を出雲大社教の布教活動とのかねあいなしで優先させるということは、神宮の風下に大社が立つとの誤解を招くおそれはないのでしょうか。
更に言えば、貴教務部長は前回引用した神社本庁の通達(神社の宣伝による教化、広報活動と伝統と信仰の護持)に続けた結論として、神社本庁は「神社の宣伝よりも、お祭りする御祭神と神社そのものの尊厳を守ることが神職の本義と自戒を求めています」とあるところ、神社本庁はその目的で堂々と「本庁はその目的達成に資するため―――必要な―――物品の販売―――旅行のあつ旋の事業を行ふ。」と書かれているのではありませんか。販売やあっ旋というのは、実に生々しい商活動ではありませんか。自らは、神社神道を宣布するための物品販売やあっ旋事業はよいとしながら、被包括団体でもない当教会に対して、当教会が商行為として行っているわけでもないご祈祷の禁止を求めるというのはどういうことなのでしょうか。
これは当教会の理解の及ぶところではありませんので、貴教務部長及び本件のご報告をして指示を仰がれた上司のご見解を求めます。特に本書面においては、当教会の考えに対し、「問題に対する思考が破綻し」と述べております。ご分霊を拝受する立場と思考破綻が、出雲大社教規則、教規などのいずれに、何の理由によって反しているから思考破綻しているといえるものかをご明示下さい。当教会に対しご指導を行う立場であると本書面でご明言されていますので、明確にご説明ください。
そもそも、出雲大社の教会の布教活動は、神社本庁関係者から目の敵にされ、「門付け乞食」の如く誹謗中傷さている教会があることも、聞き及んでいます。貴教務部長は、このように身を挺して布教活動を行っている教会長にどのような指導を行って行くのか、明確な教示を求めます。
一線で布教を行う者は、当教会も含めて、間違った布教を行えば、誰も明日からは相手にしてくれません。どのような布教を行えば明日につながるのか、必死になって考えています。
今回の■■■■のキャンペーンは、多くの方に好意を持ってみていただいていると思っています。それは当教会が肌で感じるのです。一般の方々が、どのようにこのキャンペーンを受け止めているか、お調べいただきましたか。決して宗祠出雲大社のご神威を害するものではありません。
本書面の厳重注意事項については、しかと、拝見いたしましたが、契約書は有しないなどそれぞれの項目で述べたいこと及び要望があります。
しかしながら、本件については、それより以前に神社本庁とのことがらについて、貴教務部長のご見識をぜひ示していただきたいと思っておりますので、当教会が本手紙でつづりました疑問等につぶさにお答えいただければ幸甚です。当教会は宗祠出雲大社、出雲大社教に対する敬神の念、布教の熱意は誰にも負けないと思っておりますので、右よろしくお願いする次第であります。
尚、本件の神社本庁とのことがらに関する基本理解が納得できた段階で、貴教務部長が本書面で述べられた大国主大神様の尊厳と本件のような布教活動について新たにご意見をいただきたいと思いますことを追記致します。

早々
平成二五年一一月二五日
出雲大社常陸教会
教会長高橋正宣

出雲大社教
教務部長松井惠治様

(以上カッコ内青字が原文)

5これに対し、松井惠治教務部長は上司との相談の結果として、それならば次のとおり出雲大社と関わることを解消せよと通知してきました。

冠省
最初に、高橋教会長よりの返書について上司にご報告した際に次のように承りましたのでお知らせします。すなわち「そもそも『出雲大社』を名乗る以上神社本庁の通達を無視することは出来ない。従うことが出来ないなら『出雲大社』ではなく『出雲大社教』を名乗るべきではないか」と。
貴殿の神社本庁云々という本件の主意からすれば、出雲大社は神社本庁の組織団体に属して事実関係を有しており、そうした①出雲大社から御分霊を拝受、奉斎して宗教活動を行うこと、②出雲大社名を教会名に冠すること、③出雲大社の御神札、縁起物など授布・授与することは整合性を有しません。従って、貴殿の主意には、先ずこの出雲大社に関わることの解消が要件になります。昭和の御遷宮事業の最中の昭和二十六年、社教合併により出雲大社と出雲大社教はひとつなり、神明奉仕、おみちひろめの両面から大神様の御神徳の護持、宣揚にははたらきを尽くすことになりました。「出雲大社教○○教会」ではなく「出雲大社○○教会」である理由がそこにあります。私自身も上司とまったく同じ思いです。
先般の注意事項を受け入れるか否かをはっきりとさせて書面にしてお送り下さい。

草々
平成二十五年十二月十七日
出雲大社教
教務部長松井惠治

出雲大社常陸教会
教会長高橋正宣殿

(以上カッコ内青字が原文)

6当社は、我らは出雲大社教の規則に則った宗教活動をしているのに、何故出雲大社と関わるなと言われるのかわからないと返答しました。次の手紙のとおりです。

冠省再三にわたり書面を頂戴することになりましたことに恐縮しております。当教会の前回書面の内容は、従前から申上げてきたとおり、当教会は神社本庁の教えや通達を遵守する立場にはないと理解しておりましたので、縷々そう理解する理由を述べたうえで、もし、当教会が神社本庁通達等に服すべき必要があるとするならば、その根拠なるものは出雲大社教規則、教規のいずれによるものかをご教示していただけるよう貴教務部長に求めたものでありました。
これについての、貴教務部長の今回書面は、結論として、「出雲大社」を名乗る以上、神社本庁の通達を無視することはできないとして、以下、その理由を挙げています。
まず、出雲大社が神社本庁の組織団体に属している事実を挙げ、神社本庁とそうした関係にある①出雲大社から御分霊を拝受、奉斎して宗教活動を行うこと、②出雲大社名を教会名に冠すること、③出雲大社のご神札、縁起物などを授布、授与することは整合性を有しないと述べています。
すなわち、当教会は①~③のごとき出雲大社との関係を有するものであり、かかることは宗教活動の根幹にかかわるものであるから、その当の出雲大社が、神社本庁に属している以上、出雲大社が神社本庁の通達を受け入れるのであれば、当然、当教会も受入れなければならないとするのであろうと思われます。
そこで、まず、貴書面が指摘されている①~③の活動を当教会が行っている根拠を以下申し述べます。

①の御分霊を拝受、奉斎して宗教活動を行うことは、出雲大社教教規七十条によって「教会には、宗祠の御分霊および教祖の御分霊を鎮祭し」と定められていることであります。
②の出雲大社名を教会名に冠することは、出雲大社教教規七十一条に、教会は「出雲大社何々教会といわなければならない」と定められていることであります。
③の出雲大社の御神札については、出雲大社教が目的(出雲大社教規則第三条)の事項中に「あわせて出雲大社の神札を頒布し」と掲げられていることによっています。

よって、貴書面が指摘する①~③の当教会の宗教活動の根幹をなす各行いは、いずれも出雲大社教規則、教規に則って行われているものであり、「出雲大社」がいずれに帰属することとはレベルの違うことに思われます。
問題は、出雲大社教において、宗祠出雲大社が他の組織団体に属した場合において、教会は、当該組織団体の規則、もしくは通達類を守らなければならないのかということであります。
しかるところ、出雲大社教はその組織運営原則を以下のとおり定めています。
宗祠出雲大社と教会との関係について、出雲大社教規則第三十六条一項、教規第六十八条一項は、「宗祠は本教発祥の根元であって、教会の上に特立し」と明確にし、そのうえで出雲大社教規則は第三条の目的の中で、この法人(出雲大社教)は、「宗祠および教会を包括して信者を強化育成し」とうたい、一方、教規第六十八条三項は「宗祠に関する規則は別に定める」として、宗祠出雲大社は、出雲大社教によって運営されていることが明確にされています。
すなわち、宗祠出雲大社にとっても、出雲大社教の規則、教規が最重要(いわば最高規範である憲法です。)と位置付けられなければならないのです。
このことから、次のことが導かれます。
宗祠出雲大社は、出雲大社教の規則、教規に定められたところを尊重すべく、宗祠出雲大社の所属する他団体の通達が出雲大社教の規則、教規に抵触する場合は、出雲大社教の規則、教規を優先させなければならず、教会が出雲大社教の規則、教規に則って行った事項は尊重せられねばならないということだと思われます。
次に、貴書面が、昭和二十六年に社教合併がなされたこともその理由として、「出雲大社教○○教会」を名乗るべきではないかとするところは、出雲大社教の包括性などからすれば、やはり踏み外しがあるように思えます。
出雲大社傘下教会は、布教活動を熱心に取り組んでまいりました。これは伝統的なものであります。全国民の間に入って布教活動を行うことは、国つ神の強みでもあります。日本で最も伝統のある出雲大社が、縁結びの神様として国民に親しまれている由縁も長年のこのような布教活動と無縁ではないはずです。
尊厳の護持だけに勤めていたのならば、大国主神が縁結びの神様になったでしょうか。
このように全国民の間に入っていける強みのある神社は他にありません。
例えば、今回の■■■■■■■のイメージにしても、神社本庁の他の神社においてこのようなことができるでしょうか。どうか神社本庁ではなく、教会を見て下さい。
宗祠出雲大社を思い一生懸命この書面も書いたつもりです。
それでも、厳重注意事項についてのお考えが微動にもしないというのであれば、各注意事項のご趣旨に鑑みてご返答をいたしたく存じます。

草々
平成二十五年師走二十七日
出雲大社常陸教会
教会長高橋正宣

出雲大社教
教務部長松井惠治様

(以上カッコ内青字が原文)

7次は出雲大社教東京出張所千家活彦所長からの手紙でした。

■■■のキャンペーン広告の件
右の件、昨年の秋の■■■のキャンペーン広告に関し、國造様に於かれましては遺憾の意をお示しになられておりますので、来る四月十一日(金)迄に誠意ある回答の提出を求めます。

平成二十六年三月三十一日
出雲大社教東京出張所
所長千家活彦

出雲大社常陸教会
教会長高橋正宣殿

(以上カッコ内青字が原文)

国造様が遺憾の意をお示しになっているとの簡単な文言でした。

8我らは、ことここに至った我らの誠意のいずれをもって遺憾となされるのかが不明なので率直にこれを指摘しました。以下の文です。

拝復時下ご清栄のことと存じます。
貴所長からの平成二十六年三月三十一日付「■■■のキャンペーン広告の件」と題する書面を受領致しました。
同書面によれば、右に関し、國造様より遺憾の意をお示しになられているので、誠意ある回答を求めるとのことです。
標記の件に関しましては、当然、貴所長においてもご承知と思われますが、本庁教務部長と当教会との間で、平成二十五年十月二十二日付教務部長文書を第一回文書とする合計六文書の交換がありました。この文書の中で、相互の諸意見を述べ合っておりますので、國造様のご遺憾とされるところが、右諸意見中のどの点に着地なされたものか、またその理由とするところは何であられたのかも併せて御知らせいただくようお願いする次第であります。そうでなければ、回答しえないことは貴所長においても自明と拝察致しますので、ご高配のほどお願い致します。

敬具
平成二十六年四月七日
出雲大社常陸教会
教会長髙橋正宣

出雲大社教東京出張所
所長千家活彦殿

(以上カッコ内青字が原文)

9千家活彦所長のこれに対する答えは、以下の異議を申すなとの手紙でした。

冠省
今般の■■■のキャンペーン広告に関し、私の思いを申し述べます。
本教は、國造様を大神様の御杖代として推戴申し上げており、且本教教導職及び教徒信徒の象徴でもあられます。その國造様が遺憾の意をお示しになられている事に異議を申す事はしてはいけません。このことは故西山光顕教正に指導を受けた貴殿なら理解出来るものと信じております。
本件について理屈抜きで反省され、國造様に従順なる至誠を示される事を望みます。ついては、五月二日(金)までに返事をされ度、願います。敬具

平成二十六年四月二十三日
出雲大社教東京出張所
所長千家活彦

出雲大社常陸教会
教会長高橋正宣殿

追伸
この上でも合点がいかないとお考えなら、日時を約束の上、東京でお会い致したいと思っています。

(以上カッコ内青字が原文)

10これに対し当社はそれならば国造様に直接お伺いしたいと述べました。

拝復時下ご清栄のことと存じます。
今般の貴書面は、「國造様が遺憾の意をお示しになられている事に異議を申す事はしてはいけません。」「ついては五月二日までに返事をされ度、願います。」とのことです。
この異議を申す事はしてはいけませんというのは、まず、当教会が前回貴書面にかかわらず「國造様のお示しになられている事に」異議を申した事実があるとの宣明ですが、当教会は異議を申した事はありません。当教会が異議を申したとの言葉が一人歩きして無用の詮議をされたくもありませんので、当教会が異議を申したとの言葉を撤回されるようお願いします。
当教会は、宗祠出雲大社、出雲大社教に対する敬神の念、布教の熱意は誰にも負けないとの気持ちから、本庁教務部長殿に対し、布教の現状などを訴えてきました。それを「理屈」というのであれば、理屈である理由を示されるべきです。「至誠」がなければこれまでの三文書による上申も致しません。
「異議」を申す、「理屈」を言う、「至誠」を示さないというような言葉のみを投げかけ、その理由や根拠も示されないというのでは、誹謗中傷の類と変わりません。
このような書面をいただくようでは、國造様が今回の推移をご承知の上で、真実、遺憾の意をお示しになられているものかどうか疑問であり、直接にお伺いいたしたく存じ上げますので、是非とも本件について國造様に申し上げる日時を設けていただきたくお願い致します。

敬具
平成二六年四月三十日
出雲大社常陸教会
教会長高橋正宣

出雲大社教東京出張所
所長千家活彦様

(以上カッコ内青字が原文)

11ところがこれに対する返事はなく、次は以下の「通達」でした。この通達の内容は最初の通告文に戻るものでした。以下のとおりです。

通達
平成の大遷宮を契機に出雲大社に対する関心は、広く高まっている情況である。こうした時にあたり、誤解を受けることのないよう身を引き締めて諸事に対し留意していかねばならない。こうした折柄、お道ひろめの現況にあって、危惧すべきことが知らされる。
①一部の教会において、宗祠で目にすることのない「御守」が頒布されている。「出雲大社」の名を冠するすべての教会講社において頒布出来る御神符(御像・御札御守・御掛軸)は、宗祠においてお頒ちするものと同じでなくてはならない。則ち、御本殿大御前で國造様がご奉仕なさる大國主大神様の御遷霊(みたまうつし)による御神符のみであり、これ以外の御神符授与は許されるものではない。
②講社は「出雲大社○○講社」、教会は「出雲大社○○支教会」「出雲大社○○教会」「出雲大社○○大教会(もしくは分院)」「出雲大社○○分祠」以外に許された名称はなく(沖縄分社のみ特例として許可)、その名称をもってのお道ひろめが許されているはずであるが、これについて、すべてのおしえのにわで守られている状況にはない。
③某教会において、■■会社が行う販促キャンペーンの景品のお祓いを行い、その商品広告には「出雲大社」の文字を大きくして「出雲大社○○教会祈祷」と掲載されていた。過年、宗祠出雲大社はじめ全国の神社に対して、神社本庁より「神符守札のお取扱いについて」の通達が出されている。その中で、「神符守札を一般商品の付加品としたり、宣伝の材料として利用させてはならない。」との条文がある。今回直接神符守札を扱っているわけではないが、「出雲大社」の名が企業宣伝に利用されていることで、出雲大社が神社本庁の通達を無視したと捉えられかねない。また「景品のお祓いを出雲大社が行った」との認識の元に安易に「出雲大社」の名称が無断で使用されるおそれが生じたことに大いに危機感を覚える。
④教会長自身の使命感の欠如による事案も発生したこともある。
以上、教会講社は規模の大小問わず、「出雲大社」の称名を許された全国のおしえのにわの一つであることに変りはない。一つのおしえのにわ、教会長の間違った、軽率な行いにより誤解が生まれたとき、今日のネット社会では全国に広がり、宗祠出雲大社に、またすべてのおしえのにわに大きな弊害をもたらすことを強く肝に銘じ認識すべきである。よって、改めて左記を達するにより各おしえのにわにあって厳守すること。
一、教会講社は、必ず國造様の御遷霊による御神符のみをお頒ちすること。御守袋も宗祠出雲大社と同じ御守袋を用い、誤解がないようにすること。縁起物についてはこの限りではないが、縁起物と御守とははっきり区別し、お受けになる方々が惑うことのないようにすること。
一、教会講社の表名名称は國造様より御許可を戴いた「出雲大社○○講社」、「出雲大社○○支教会」「出雲大社○○教会」「出雲大社○○大教会(もしくは分院)」「出雲大社○○分祠」でそれぞれ統一すること。ゼンリン地図、電話帳、ホームページにおいてその表記が異なるときは、これを正すこと。
一、企業等から地鎮祭・会社発展等の一般のお祭り以外の依頼があるときは教務本庁に伺いをたてること。
右、通達が守られていないことが明らかになった場合、「出雲大社教規則」「出雲大社教教規」の懲戒規定に基づき処し、また該当のおしえのにわには「出雲大社」の名称の使用停止を求め、御神札はじめ各種案内状の送付も行わない。
以上心得たし。

平成二十六年五月二十八日
出雲大社教
総監千家隆比古

教会長講長各位

(以上カッコ内青字が原文)

12結局、我ら一線で布教活動をする者たちの訴えは通じませんでした。その上、我らに対する処罰が噂されるところとなり、出雲大社傘下では身の置きどころがなくなったのです。このため、我らは出雲大社から芽を出した苗木として育っていこうと離脱宣言をしたのです。

拝啓梅雨の候管長様にはお健やかにお過ごしの御事と拝察申し上げます。
この度、宗教法人法第二十六条第三項の通知をさせて戴きました。
当然、ご報告は届いていると思われます。わずらわしいことと存じますが、経緯をご説明させて戴きます。
当常陸教会は通常(■■■■■■■■のキャンペーン)の祈祷の依頼を受けた後、先様(■■■■■■■■)が広告をした件について、別法人である神社本庁の三十五年前の通達をもって即刻取り止めよ、との通知を受け、返答書を含め合計六通の書面を誠心誠意したため送付致しましたが、この度新に総監様より各教会講社宛に通達文が配布されました。
教友の意見と共に内容を検証させて戴きました。他の案件を含めてはいますが、明らかに常陸教会への懲罰ありきの内容であると理解致しました。現在斎家一六〇〇軒、信徒七千名、年間参拝者数三十五万人を戴く教会として、止むに止まれず第二十六条三項の通知の執行を決意した次第であります。
「異議を申している」との言葉が先行する中、教会布教の現況の問題を提示してまいりましたが、この様な事態になり残念に思います。
尊福公の教えに照らし精魂込めて教勢の発展に打ち込んで参りましたが、思いが届きませんでした。
現教団執行部とは、布教方法は異なるとしても、御親の大神様の布教は信念に基づき更に大いなる希望をもち精一杯努力を惜しむものではありません。
今後ご迷惑をお掛けすることも少なくなると思いますが、大所高所よりご指導をお願い申し上げます。
長年ご配慮を戴き感謝申し上げます。管長様のご健康を心よりお祈り申し上げ、常陸教会の最後のご挨拶とさせて戴きます。誠に有難う御座いました。

敬具
平成二十六年六月十日
出雲大社常陸教会
教会長髙橋正宣

出雲大社教
管長千家達彦殿

追伸承りました御下賜金は、大神様とのお約束通り返納致す所存で御座いますので、よろしくお願い申し上げます。

(以上カッコ内青字が原文)

13かくて単立としての道を歩みはじめました。
ところが、これについて出雲大社教、出雲大社は代理人弁護士名にて、出雲大社の名称を使うな、ご霊璽は使用貸借契約で貸したのだから返せと言ってきました。

内容証明郵便その1

通知
冠省時下、益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。
さて、小職は、宗教法人出雲大社(以下、「通知人」といいます。)の代理人としてご通知申し上げます。
今般、貴法人は、宗教法人出雲大社教(以下、「出雲大社教」といいます。)との包括関係を廃止されました。
貴法人が、出雲大社教との包括関係を廃止された以上、通知人としては、貴法人に「出雲大社」の名称の使用を認めることはできません。
つきましては、貴法人におかれては、本書受領後1か月以内に、「出雲大社」の名称の使用を取り止めたく、所定の手続を開始されますよう本書を以て請求します。
通知人が、貴法人が「出雲大社」の名称を使用することができないと考える理由は以下のとおりです。
「出雲大社」の名称は、通知人の宗教団体としての人格権に密接不可分の関連性を有するものであり、通知人の許可なく名称として使用することは、通知人の人格権侵害にあたります。最高裁の判例においても「宗教法人は、その名称を他の宗教法人等に冒用されない権利を有し、これを違法に侵害されたときは、加害者に対し、侵害行為の差止めを求めることができる」とされています。
通知人は、明治4年から140年以上「出雲大社」の名称を使用してきたこと歴史的沿革などから、「出雲大社」といえば、通知人を意味するものと広く周知認識されています。
しかるに、通知人並びに通知人の包括団体である出雲大社教及び出雲大社教包括下以外の宗教団体に「出雲大社」の名称使用が継続された場合、一般人をして宗教団体としての同一性に誤認混同を生じる危険性は極めて大です。
貴法人は、出雲大社教の包括下にあるという事情の下で、「出雲大社」の名称使用を許されていました。しかし、出雲大社教との包括関係廃止後は、名称使用を継続する根拠がありません。
本件については、小職が代理人となっていますので、本書の内容について、ご質問やご不明な点等がございましたら、小職宛になさいますよう、お願い申し上げます。
なお、本通知受領後、万が一、貴法人が「出雲大社」の名称の使用を継続されるとすれば、やむを得ず、司法の判断をあおぐことも想定しておりますことを念のため申し添えます。

草々

平成26年12月22日
通知人
宗教法人出雲大社
代理人弁護士籾倉了胤
〒879-0023
大分県豊後高田市金谷町1185番地
加宝インテックビル2階太聞法律事務所
TEL0978-25-6708
FAX0978-25-6707
被通知人
宗教法人常陸国出雲大社
代表者高橋正宣殿
〒309-1634
茨城県笠間市福原2006番地」

(以上カッコ内青字が原文)

内容証明郵便その2

「通知
冠省時下、益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。
さて、小職は、宗教法人出雲大社(以下、「通知人」といいます。)の代理人としてご通知申し上げます。
今般、貴法人は、通知人との包括関係を廃止され、通知人の「教会」ではなくなりました。
ところで、貴法人は、通知人の「教会」において使用する目的で、霊璽を通知人より無償で借り受けていました。貴法人が通知人の「教会」ではなくなったため、貴法人が通知人より貸し渡されている霊璽についての貴法人と通知人との使用貸借契約は、使用目的が終了しました。
つきましては、貴法人において占有しておられる霊璽を本書受領後1か月以内に、通知人に返還されますよう本書を以て請求します。
本件については、小職が代理人となっていますので、本書の内容について、ご質問やご不明な点等がございましたら、小職宛になさいますよう、お願い申し上げます。
なお、期限内に霊璽の返還がなされなかった場合、やむを得ず、司法の判断をあおぐことも想定しておりますことを念のため申し添えます。

草々

平成26年12月22日
通知人
宗教法人出雲大社
代理人弁護士籾倉了胤
〒879-0023
大分県豊後高田市金谷町1185番地
加宝インテックビル2階太聞法律事務所
TEL0978-25-6708
FAX0978-25-6707
被通知人
宗教法人常陸国出雲大社
代表者高橋正宣殿
〒309-1634
茨城県笠間市福原2006番地

(以上カッコ内青字が原文)

出雲大社教ではなく出雲大社が出雲大社の名称を使うなというのは、これまで包括団体を脱した法人の使用を認めた判例をかいくぐろうとするものであり、ご霊璽を使用貸借契約というのは絶句するような内容でした。

14当社は宗教法人、出雲大社出雲大社教の請求は堂々と受けて立つと以下の内容をそれぞれ回答しました。

回答書

平成27年1月14日

〒879-0627
大分県豊後高田市金谷町1185番地
加宝インデックスビル2階太聞法律事務所
宗教法人出雲大社及び宗教法人出雲大社教
代理人弁護士籾倉了胤殿

〒104-0061
東京都中央区銀座七丁目10番8号
第五太陽ビル9階先端法法律事務所
電話03-3572-3567
FAX03-3572-3519
回答人常陸国出雲大社代理人
弁護士辻洋一
同影山知佐
同三上拓馬

1通知人宗教法人出雲大社からの名称使用取り止めを求めるとの件について
貴代理人より平成26年12月22日付文書にて標記請求をうけましたが、回答人常陸国出雲大社(以下「当社」といいます。)は、この請求には応じられません。
それは、何よりも第一に当社の宗教上の存在理由に基づくものだからです。当社は昭和29年3月24日に法人のとして成立しましたが、この時より「出雲大社」を法人の名称の一部に含み、目的において大国主神を主神とすることを宣言しています。
現在地のいわゆる常陸国に平成5年6月7日に住所を移してからも、「出雲大社常陸教会」との名称により活動してまいりました。
宗教法人の名称なるものは、一般的にその教義、理念を体現したものであるところ、当社の上記名称も正にそういうものでした。当社もこの名称による活動を当地において職員、信者一同懸命にとりくみ、その結果、地元の方々の間にも広く認知されてきました。ゼロからの出発でようやくここまできたのです。最初この地元では「出雲大社」とは何?の状態でした。当社の活動実績は、両通知人においてもご理解を戴いていることと自負しております。
よって、当社の名称から「出雲大社」を削り取ることは、これまで
職員、信者一同が汗して築いた実績、誇りを捨てよということであり、当社の存在の否定なのです。
よって、貴請求は断じて受け入れられないのです。
次に、貴請求理由によれば、「出雲大社」という名称そのものについて140年以上の名称使用の歴史をかかげ、「出雲大社」といえば「宗教法人出雲大社」を意味するほどに周知認識され、当社が宗教法人出雲大社と関係がなくなったのに尚も「出雲大社」の名称使用を継続すると一般人をして同一性に誤認、混同を生ずるとしています。
まず、貴法人の歴史を見ますと、法人としての当社成立の6ケ月前である昭和28年9月26日が法人成立の年月日と登記上記載されています。
次に「出雲大社」といえば、「宗教法人出雲大社」であると広く周知認識されているとのことですが、明らかにこのような周知性はありません。本回答書以降もこのような主張を続けるというのであれば、広く調査されることを要求致します。
更に、貴通知書における「出雲大社」といえば「宗教法人出雲大社」との表現は、島根県出雲市大社町の「公衆礼拝の施設」を念頭に置いているかの如きですが、当社は「常陸国出雲大社」でありますから、万に一つの誤認のおそれはないというべきです。
貴通知書によれば、「出雲大社」の名称が「宗教法人出雲大社」人格権と密接不可分の関係にあるので、許可のない使用は人格権侵害にあたるといっています。
しかし、人格権というのは自然人に帰属するものであって、法人に帰属しえないことは常識であって、従前の裁判例でも法人の人格権侵害主張については、主張者の意図したいところを裁判所が善解して法的構成を検討しているもので、法人の人格権侵害は正確な法的主張ではありません。
そもそも「出雲大社」しというのは、いうまでもなく万古の歴史を有する日本国民の宝です。かかる国民的財産を宗教法人が自己の名称にとり入れ、この使用を禁ずるという法理が可能なものかについて根本的に納得できかねますので、本件を訴訟にするというのであれば、当社は堂々と争いたいと思います。
最後に「宗教法人出雲大社教」との関連について述べます。
貴通知書は、当社が「宗教法人出雲大社教」との包括関係を廃止したので、名称使用は許されないとしています。
「宗教法人出雲大社教」の包括下においては「出雲大社」の名称使用は許されていたが、包括外では名称使用は許されないとしています。その理由は宗教団体の同一性に混同を生ずるとのことですが、宗教団体である「宗教法人出雲大社」とは誤認、混同のおそれが生じないことは前記のとおりです。
そこで、「宗教法人出雲大社教」との誤認、混同が生じるというのであれば、当該「宗教法人出雲大社教」において当社に対しこの請求を行えばよいことです。
ところが、「宗教法人出雲大社教」はこれを行っていません。その理由は明らかです。判例上、包括団体が包括関係廃止にあたり、被包括団体の名称継続を許さないような干渉を行うことは、対等な関係には立たない被包括団体の信教の自由や結社の自由に及ぼす影響が大であるとして許されていないからです。
「宗教法人出雲大社」が名称使用取り止めを当社に求めるのは、この判例を掻い潜ろうとするものであって、忌憚なく申せば姑息です。
当社は、出雲大社から新たに根付いた苗木であるとどうか長い目でみて戴くようにお願いする次第です。
当社も、大国主神を主神として奉斎する古来からの日本人のための宗教です。そのような苗木が育っていこうとするときに、なぜ包括下を出たら名称は使わせないというようなことを言うのでしょう。大国主神の前でも言えるようなことではないはずです。
先々の視点で当社の独立を見た場合、出雲大社にとっても決してマイナスではないことは、ご理解戴けるものと信じてやまないものであります。
2宗教法人出雲大社教からの霊璽返還請求の件について
霊璽とは、死者のみたまの依代として呼称されることが多いので、本書では「御分霊」と申し上げます。
「出雲大社教教規」においても御分霊とされています。
貴請求にかかる御分霊は、先の国造の代に当社が幣帛料を納めて拝受したものであり、貴通知書が言うところの使用貸借すなわち無償の貸し借りではありません。教会が教会としての機能を喪失したときは、鎮祭もできなくなり神様を粗末にすることになるので御分霊の奉還を出雲大社教教規で定めているのです。よって本件の如く包括外になったことを理由に奉還を当社に求めることはできないのです。
遷座された御分霊は返還御動座を願えば、どのようなお迎えにも応じていただけますので、御分霊の返還を求める意味もありません。神様の決めることです。
毎日お祈りを受けられている神様が、包括外になったから遷られるということはありません。よって、本請求には応じかねるものです。
以上の次第であり、当社は、「宗教法人出雲大社」及び「宗教法人出雲大社教」の各請求をいずれも拒絶致します。

(以上カッコ内青字が原文)

これからもそうします。

15大国主神は常陸の国に鎮座されています。
我らは大国主神のもと、大国主神のくびきをお解きしてこれからさらに千年の道を歩みはじめました。この度の歩みは、大国主神のお望みになられたことであり、我らは大国主神を信じ身を律します。我らと共に顕幽の理を求めようではありませんか。

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