(株)ソニー、ソニー神殿取壊し訴訟、その後の経緯について

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(株)ソニー、ソニー神殿取壊し訴訟、その後の経緯について

社務所ブログ

2020/12/31 (株)ソニー、ソニー神殿取壊し訴訟、その後の経緯について

 

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【取り壊されたソニー神社】

 

「ソニー神殿取壊事件」

《経緯》

平成41月ソニー(株)盛田昭夫会長(当時)と常陸国出雲大社髙橋正宣宮司は共通の知人の紹介で出会い、当時のソニーが抱える(盛田会長の悩み)悪縁等について相談を受け、神社を建てこの悪縁等を断つこととなりました。しかし、建立から25年ほどして神社の解体という暴挙に出たため、神社の復旧を中心に東京地裁に訴えることとなりました。以下はその経過報告でございます。

《建立の概略》

ソニー()代表取締役会長・故盛田昭夫氏と合意した平成43月下旬、昭和54316日当時の大賀副社長の木更津でのヘリコプターの墜落事故後、ソニー()の役員はじめ社員に病気が多発し、ソニーに荒ぶる神(怨霊)の障りがあるとのことで、故・盛田昭夫元会長により、ソニー社員に障りをなす荒ぶる神(怨霊)を鎮魂し、帰幽(亡くなった)社員の慰霊を向こう200年齋行して欲しい旨を「大願意」に基づきお社の建立を約定しました。

《裁判の経過》

令和元年週刊誌に掲載された記事等、ソニー神社取り壊しに対し、当社・常陸国出雲大社(原告)、ソニー()(被告)の最終尋問が令和21021日東京地方裁判所に於いて開廷されました。当社は原告宮司が出廷し主尋問を受け、被告ソニー()は出廷されませんでした。

 

陳 述 書    甲第32号証

 

1 私は、原告常陸国出雲大社の宮司です。私は、昭和2237日、栃木県河内郡上三川町に生れましたが、父は出雲大社教教師として、東京都内の結婚式場の斎主を務めており、幼少期より神とは何かを日常的に考える環境にありました。高校生(16)の時、出雲大社教の布教師養成講習会を受講し、その後昭和41年に國學院大學神道学科に学び修め、昭和45年に卒業しております。

昭和602月、出雲大社初台教会を引き継ぎ、代表役員に就任し、平成210月、出雲大社初台教会を出雲大社常陸教会に名称変更しております。

被告との関係が始まった平成3年頃から平成26年9月16日に島根県の出雲大社・出雲大社教との包括関係が廃止されるまでは、出雲大社常陸教会の教会長でした。

原告常陸国は大国主大神を主神として奉斎しております。「顕世(うつしよ)」は目に見える世界、「幽世(かくりよ)」は目に見えない神と人の霊魂の世界ですが、顕世と幽世とは相即不離の関係にあり、この世での幸福・繁栄は幽世からのご加護により与えられる「顕幽一如」の理を明らかにしてこれを広めることをその主たる目的としております。

原告常陸国と被告との間では、「相互に力を出し合って、本件土地に原告常陸国の分社格の神殿を建立したうえで、200年にわたり、この神殿を維持し、原告常陸国独自の作法に則った神事を執り行い、以て、原告常陸国と被告が共同して、いわば社会の公器として、被告にまつわる、すべての人を慰霊、鎮魂することにより、多くの災いを祓い、まつわるすべての人々が安らかに過ごせるように、この神殿を運営していく」ことが合意されました。

原告常陸国と被告との関係が始まった平成3年末頃、原告常陸国は出雲大社教の一教会であり、「顕幽一如」という教義の根本は出雲大社教と同じくしておりましたが、私は神事を通した長年に亘る直感的思考の中で、私独自の神道的世界観を可視化しておりました。原告常陸国の社殿(御本殿)は、地中に地上空間と同じ長さの柱を作り、地中から地上空間に至る石櫃から心の御柱までが神縁結紐で繋がった1本の柱を形成することで大国主大神の霊威を宿すとの基本的な考えのもと、地中の石櫃に財宝を埋納することで幽世の神々のより大きなご神慮を戴く工夫をしておりますが、この社殿構造にはまさに私独自の神道的世界観が表れております(なお、被告との関係が始まった時点では、既に原告常陸国御本殿の鎮め物は埋納しておりましたが(平成31123日に鎮め物埋納(甲23の14)。)、地上の心の御柱は構想段階でした(実際には平成448日に原告常陸国御本殿立柱祭を齋行しております(23の16頁)

出雲大社教にも心の御柱の言い伝えはあるものの、原告常陸国のような地中構造は聞いたことがありません。

被告代表者盛田昭夫氏(以下「盛田会長」といいます)は、私との対話を通じ、私の神事に対する取り組み方に深く共鳴し、「私の神道的世界観が表れた原告常陸国の社殿に構造等が準じる、いわば分社というべき格の神殿を建立し、ここで長年に亘り(後述のとおり、当初は2000年とおっしゃっていましたが、最終的には200年ということで合意に至りました)原告常陸国独自の作法に則った神事を執り行っていくことによって、本件事故被害者である鳥山氏らの怨霊(怨霊とは、人に災いを与える霊であり、怨霊が鎮められると御霊(ごりょう)となります。)を鎮め、被告物故社員のみたま()を慰霊してゆくことにより、単なる企業活動を超えて、社会の公器として多くの人々の安寧に寄与するという、ソニーという企業の宿願をはたしていく」ことを望まれました。

ここで、被告及び原告常陸国が意図し、そして行ってきた怨霊鎮めは、世間でイメージされるような、お札を貼り付けるであるとか、お祓いの儀式を行うとか、そういった暫時的なものではありません。神道的世界における流れが滞り悪しきことが生じぬように、ひたむきに、深い帰依と敬虔な神事とを継続することが意図されておりました(本邦最大級の怨霊たる菅原道真公の怨霊が原代にいたってもなお祀り続けられていることからも、このことはご理解戴けるかと思います。)

また、人のみたま()をお預かりして慰霊していくことも、何らかの儀式をして終わりと言った話ではありません。仏教において、三回忌、七回忌、十三回忌、五十回忌、百回忌等の年忌の概念があるように、神事としての慰霊も、十分な期間にわたって責任をもってしていかなければならないものです。

なお、本件神殿は、私の神道的世界観の表れである原告常陸国社殿に準じた地上構造、地中構造により建造されることとなりましたので、他の宗教や教義による怨霊の鎮めやみたまの慰霊を、ここで行う事は考え得ません。まして、一旦、お預かりしたみたまについて、原告常陸国の作法によらずして、別の依り代(よりしろ。神霊が依り憑く対象物)に移すことはできません。他方、むろん原告常陸国としても、自らの都合で、お預かりしたみたまの慰霊をやめることもできません。また、怨霊の鎮めは、本件土地上に本件神殿が存置され続ける事により初めて行えるものですから、原告常陸国の本社においてなす神事で代替できるものではありません。

 

さて、被告と原告常陸国との間で、原告常陸国の社殿に準じる格の神殿をソニー村の中に建立し、長年に亘り鎮魂慰霊をおこなうということで、お話がまとまるにおよび、私は、盛田会長に直接、又は村山室長を介して、「霊魂を鎮め、その霊魂が悪霊から善霊へと変わることを願うのであれば、長きに亘る鎮魂は不可欠であり、一度始めた以上、途中で中止は許されません。」、「私に依頼しているからあとはまかせた、というお考えではいけません。主体的に神事に御参加下さい。地鎮祭のようなものではありません。」、「私としても、この神殿は常陸国の神殿と同じようなものにしたいと思っています。『自分の神殿なんだ』などといって勝手にやめることはできません。その覚悟はございますか。」といった趣旨のことを、何度も何度も、念押ししており、盛田会長は了承しておりました。(後述のように、直接お話した際も了承されておりましたし、村山室長を介してお伝えしたこともございますが、私は村山室長から、「盛田会長もよく理解されています。」旨伺っておりました。)。それゆえ、盛田会長は、当初、「2000年を見据えてください。」と、お話になっていらっしゃいましたが、村山室長の「200年で宜しいのでは」との意見を受け、最終的には、200年を一区切りとして実施することとなりました。

この結果、永続的に本件神殿の共同運営をするにあたって、Ⅰ)被告は、①本件土地を拠出し、本件神殿の建立費用の大部分を負担して、私の神道的世界観が表れた原告常陸国の社殿に準じる構造を具有する神殿を建立し、②鎮め物を自らの費用負担において行い、③これを200年に亘り維持することとし、④本件神殿完成後は、所定の祭祀料の原資となる金員を大国主大神に奉納するべく継続し、⑤みたまの慰霊の一部を行うこと(その後、被告の手に余るということで、原告が担うこととなりましたが)を負担するべく約し、Ⅱ)原告常陸国は、①原告常陸国秘中の秘というべき神殿の上部構造及び下部構造を開示し、これに基づく本件神殿の設計を指揮し、②被告と共に、自らの費用負担において鎮め物を埋納し、③本件神殿完成後、原告常陸国の方式に従った神事を200年に亘り行うことにより、みたまの慰霊、怨霊の鎮めを負担するべく約し、以て原告常陸国の方式に則った神事を継続していくことによって、被告の企業活動にまつわるすべての人々を慰霊鎮魂し、現世に生きる人々を守り、被告が、原告常陸国とともに、単なる経済活動のみならず、いわば社会の公器としての人々の安寧をもたらす神殿を継続し、主体的に運営していくという目的を達成することとなったのです。

なお、本件神殿の存続期間として、200年と合意されていたことは、平成28年9月27日付書簡でも(甲3)、平成29年11月10日付代理人名での書簡でも(乙5)、明示していたところですが、平成30年5月23日、被告が石櫃を開披した結果確認された、盛田会長が直筆でしたためた、大国主大神に対する「大願意」(13の写真⑫)において、「200年」と明記されていることから、この神殿の建立が、200年の存続を前提とするべく合意されていたことは客観的に明らかになったものといえましょう。

以下、本件に関し私が知るところを時系列に沿って陳述致します。

 

2 平成3年末頃、被告の当時会長であった盛田昭夫氏、村山室長との共通の知人から「ソニーが怪しげな霊感師を呼び、ソニー本社に漂う悪霊払いをしているので、相談に載ってほしい」とのお話があり、その後、平成4年1月、被告旧本社ビルにて、盛田会長、村山室長と面談することとなりました。

平成3年11月23日に原告常陸国出雲大社の御本殿鎮め物埋納の儀(甲23の14頁)、平成4年1月26日に拝殿、社務所、常陸文右衛門の合同地鎮祭を執り行っているように(甲23の15頁)、この頃は原告常陸国出雲大社の社殿建立真っ最中でしたので、自己紹介として1000年、2000年以上先を見据えた社殿を建立中であることをお話しました。

面談中、盛田会長からは被告本社ビルの役員・社員が悉く病気になったり、事故に遭ったりしていることを伺いました。盛田会長は、当初、「墓か記念碑を作りたい」のだが、どう思うかとお尋ねがありました。

しかし、原告常陸国は、あくまでも神事が主体ですので、神事を通して祭事することをお勧めし、「企業墓や記念碑ならばご協力はできません。」とお断りさせていただきました。

すると後日、盛田会長より、「これからヨーロッパに出発しなければならないので、事にあたって私の代わりに村山室長に全権を与えた。神事を通した慰霊を執行したいので宜しくお願いします」と言う旨のお電話をいただきました。そこで、私は、神事による慰霊に向けて、まず被告に生じている災いの原因を理解するための調査を開始しました。

 

3 被告に生じている災いの原因を理解するため、私は村山室長に依頼した被告本社ビル周辺の神社リストをもとに、被告とそれぞれの神社が祀る祭神との関係等を調査することとしました。「建設部副長‘92.1.23村川」と押印された「神社名及住所」と題されたリストが、被告から受け取ったものです(甲29)。

また、私は村山室長と綿密に打ち合わせし、被告に過去どのような問題があったか聞き取りをしておりました。その過程で、昭和54年3月16日に木更津で大賀社長(平成4年2月当時)の操縦ミスにより、ヘリコプターが不時着し、大賀社長の救出時に、その羽が駆け寄った鳥山寛恕氏の頭を打ち、鳥山氏が亡くなった本件事故の話を打ち明けられ、平成4年2月17日付本件メモ(甲20)の交付を受けました。また、本件メモ交付の際、昭和45年(1970年)に被告の敷地から大量の人骨が出たことや、社長であった岩間和夫氏が苦悩の末若くして亡くなったこと等も合わせて伺いました。

その内容は、本件メモ(甲20)に「22年前1970に人骨が出る」「岩間和夫…死亡」等と鉛筆書きで残しております。村山室長の告白は、「盛田会長の八面六臂による働きで事故の後の処理は順調に進みましたが、問題はそれからなのです。事故の処理も終わり、お祓いも済みましたが、大賀社長の頭部の病気、役員たちの病気の多さ、岩間社長の病気、特に岩間社長は会長盛田の妹婿ということもあり、盛田会長の信頼も厚く、正義感も強く、盛田会長とソニーの将来を最後まで案じながら若くして亡くなってしまった。そのことは、盛田会長の心に深く刺さっております。高橋教会長、何とか盛田会長の苦しみを取り除いてください。なお、この事故のことは上層部は共有し、現執行部も最高機密として共有しています。」という内容のものでした。

私は、周辺神社の調査の中で、被告旧本社ビルが、近隣の居木神社の鬼門線(北東)上にあることが気になりました。居木神社は水を司る神である闇龗神(くらおかみのかみ。高龗神(たかおかみのかみ)とも言われます。)を御祭神としておりますが、水を司る神と被告のようなエレクトロニクス企業の相性はあまり良くないからです(一般に、精密機器は水を汚します。)。また、日本神話では、イザナミの神が火の加具土の神(ひのかぐづちのかみ)をお生みになったとき、イザナミの神は火傷でお亡くなりになり、このことに怒ったイザナギの神が剣で火の加具土の神の首をはね、その剣より血が大地に滴ったところより闇龗神が誕生しておりますが、この神話と、大賀氏の操縦ミスによりヘリコプターの羽が鳥山氏の頭をはねたという本件事故の構図に類似点を私の神道的世界観で感じ取ったこともあり、本件メモの交付を受けた平成4217日頃、村山室長とともに、木更津の本件事故現場を詣でました。

木更津の本件事故現場では、村山室長を依り代に見立てて神事を執り行いましたが、私は生霊、死霊の強い霊気を感じました。村山室長も指先に異常な冷たさを感じたと、そのときに述べておられました。

 

4 平成4年2月17日頃の木更津の本件事故現場調査を経て、私は、エレクトロニクス企業である被告が霊界の激しい怒り、特に水の神である闇龗神の怒りに障っていることが本件事故や被告役員の病気等の問題の原因のひとつにあり、通常の神事を以て解決できるような問題ではなく、私が培ってきた全てのものを総動員し、長い年月をかけて必死に祈りを続けることでようやく鎮められるものであり、並大抵の一時的な神事では、到底この問題に対処し得るようなものではないと理解しました。具体的には、建立中であった原告常陸国の社殿と同等の構造を持つ、地脈で繋がった神殿を建立し、長きに亘り大国主大神ら神々に祈り、不慮の事故で亡くなられた鳥山寛恕氏を含む怨霊を石櫃の中に封じ込めることこそが、唯一の方法であると判断したのです。

私は、そのことを村山室長に伝え、同室長も、これを理解され、すぐに、ご一緒に神殿建立の具体的な検討を開始いたしました。

そして、闇龗神の機嫌を損ねていることが問題であると把握されたことから、闇龗神を祀る奈良の丹生川上神社、闇龗神と同様に水を司る神である水都波能売神(みずはのめ)を御祭神とする貴船神社を詣で、何を為すべきかについて啓示を受ける必要があると考え、平成4年3月9日、奈良に出張し丹生川上神社を、同月21日、京都に出張し貴船神社を詣でました。甲第15号証の「奈良出張調査 平成4年3月9日」と「京都出張調査 平成4年3月21日」はこのことを示すものです。

 

5 私は、その後、平成43月下旬から同年4月中旬頃の間に、盛田会長に直接お会い致しました。被告にまつわる怨霊が、鳥山氏が亡くなった本件事故を含む全ての災いの原因であると把握されたことをご報告した上、これらの災いを鎮めるためには、現世に生きる私共にできることは、大国主大神ら神々の御力を受け、長きに亘り怨霊(元々被告にまつわっていた怨霊、本件事故の結果怨霊となった鳥山氏を含みます。)鎮魂の調伏祈願をするほかないこと、そして原告常陸国社殿と同様の構造を持ち、地脈で繋がった神殿を建立し、地中の石櫃に怨霊を封じ込め、末永く祈りを捧げていくことが私に考えられる唯一の方法であり、お任せ戴けるのであれば、これまで会得した全ての物を注ぎ込んだ建立中の原告常陸国社殿と同様の構造をもつ神殿を特別に建立した上、命をかけて神事に取り組む覚悟であることをお伝えしました。私はこの際、建立中であった原告常陸国社殿の構造に込められた意味、すなわち、地中に地上空間とおなじ長さの柱を作り、地中から地上空間に至る石櫃から心の御柱までが神縁結紐で繋がった1本の柱を形成することで大国主大神の霊威を宿すこと、地中の石櫃に財宝を埋納することで、幽世の神々のより大きなご神慮を戴く事を、盛田会長に説明いたしました。建立する神殿に込める意味の説明もなく、盛田会長が納得されるはずもないのです。

また、私は、盛田会長に、神殿を建立する場合、島根の出雲大社から龍蛇神のご神体をも譲り受けることができれば、なお良いともお伝えしました。この龍蛇神とは、大国主大神に仕える眷属神(けんぞくしん)で、水を司る神です。神々は、旧暦10月に出雲大社に集まり、大国主大神の御許において神々による縁結びのお話合いをされますが、龍蛇神はこの神々の先導役を果たしておられる神です。島根の出雲大社では、出雲に漂着したセグロウミヘビが龍蛇神のご神体として奉納されますが、旧暦10月の神在祭後、お役目を果たした龍蛇神のご神体を拝受できることがあります。島根県の出雲大社から龍蛇神を拝受することを提案したのは、水の災いを鎮めるためには水を司る神である龍蛇神が良いと考えたこと、また龍蛇神が先導の神であることから、鳥山氏ら物故者の怨霊を間違いなく大国主大神に繋げるためには、龍蛇神を拝受できた方がなお良いという、大きく2つの理由がございました。

盛田会長は、おそろしく聡明であり、おそろしく直感的な把握力のある方でしたから、深い関心を示され、さまざまなご質問をされたうえで、しまいには「よくよく、わかりました。」と快活におっしゃいました。私が提案した神事は、盛田会長にとって、得心のいかれるものであったのでしょう。そして、この際に、盛田会長からは、私に対し、「一切をお任せしたい。」とのお言葉を頂戴しました。

盛田会長は、被告を思い愛するが故の、暗き淵のごとき深い苦悩と純粋清冽なる熱意を抱かれておられました。のみならず、被告を私的な営利活動を行う存在にとどめず、長きに亘って、社会の公器たらしめたい、そういう存在として、歴史の荒波に消える事無く、何か多くの人の安寧をもたらすシンボリックでありつつも、単なる形にとどまらない何か、を永続的に残したいという、広大かつ強い志を有しておられることを、お話を通じ、ひしひしと理解いたしました。

私は、その熱意に応え、原告常陸国の神殿の構造や私が培ってきた神道的世界観の秘中の秘を、はじめて外部に開示し、社殿に準じる神殿を建立することを決意したわけですが、それだけの覚悟で神殿を建立する以上、被告においても、盛田会長亡きあとも

末永く神事を継続していく覚悟が必要です。そうでなければ、このような分社ともいうべき神殿の建立にご協力することはできないのです。それゆえ、「私の神道的世界観の表れである原告常陸国の社殿に準じた神殿を建立する以上、この神殿は相当の長きに亘って維持していただくことが必要です。また、怨霊鎮めが目的ですから、やはり、途中でいい加減にやめることはできません。相当の長きに亘り、神殿を維持し、祭祀の継続することができないのであればお断りしたいと思います。」旨をお伝えしました。私としては、いわば分社というべき神殿の建立を被告ともに行うわけですから、それが、わずか数十年で廃社されるようなことを到底容認できないことは、当然のことです。すると盛田会長は、「私の責任において、必ず永続的に継続させるから、大丈夫です。」、「これから作っていく神社には、ソニーの事だけを見守っていただくのではなく、この地域全体の安寧を末永く維持していただきたいと本当に願っています。」との力強いお言葉を頂戴しました。この閣議に満ちたお言葉を受けて、私どもとしては、我々の社殿の分社とも言いうる本件神殿を建立し、本件神殿における祭祀を継続してゆくことを決断いたしました。また、調査の経緯から明らかなとおり、当初の目的は怨霊鎮めでありましたが、盛田会長のご意向を踏まえ被告に貢献のあった物故社員の御霊の慰霊祭をあわせて執り行い、以て、被告にまつわるすべての人々のみたまの鎮めと慰霊を行うこととなりました。被告にとっては、怨霊を鎮め、また、それ以外の物故社員のみたまを慰霊し、これにより、ソニーにまつわる人々を守り、さらには本件土地の周辺地域全体の安寧をもたらし、このような祓いの機縁たる神社をソニー自身が維持運営していくことによって、社会の公器としての使命を、歴史の荒波を超え、世代を超えて、この世に残すという目的を実現することができ、また、原告常陸国にとっては、独自の神道的世界観に基づき建立された神殿を残していくという目的、大国主大神のお力を頂戴して、怨霊を鎮め、多くのみたまを慰霊し、以て、この世の滞りを広く、長年にわたり、浄化し、祓ってゆくという目的を実現することができ、この共通の目的を実現することこそが、この事業の目的でございました。

当初盛田会長は、常陸国の社殿が1000年、2000年以上先を見据えて造営されていることに倣って、2000年に亘り本件神殿を維持し、祭祀を継続してゆくことを望んでおられました。ところが、同席していた村山室長が「企業が2000年は変です。買地券料も高くなる。200年で宜しいのではないでしょうか。」という旨の意見を述べられました。盛田会長は「いや、それでは神様に届かないのではないか。」との思いを持たれていましたが、しかし、村山室長の説得を受け、最終的には2000年を目標とするが、「少なくとも向こう200年を一区切り」として本件神殿を存続し、神事を斎行する、ということになりました。

なお、神殿の候補地として、私は、盛田会長に、ソニー旧三角ビルの突端部分を切り離し、その部分を平地として神殿を建立する案を提示いたしました。盛田会長はその気でしたが、その後村山室長から私に、「本社ビルを建て替えるとなるとあまりにも費用がかかってしまう。別の土地を押しますので、盛田会長を思い止まらせてほしい。」とのお話があり、最終的に被告から提案を受けた北品川のソニー歴史資料館、井深会館に挟まれた土地に本件神殿を建立することとなりました。建立場所が決まった際、盛田会長は、「創業の地であるし、ソニーがたとえ潰れても、この神殿だけは残るはずだ」と感慨深げにおっしゃられたことを記憶しています。盛田会長は、被告自身が、神殿という歴史的な浄化装置を残し、それが地域全体を守護していくこと自体に社会的な意義を感じられていたと思います。

盛田会長と本件神殿を建立し、向こう200年を一区切りとして祭祀を執り行う旨合意した具体的な日時を特定することはできませんが、平成4年3月21日京都出張調査をし(甲15)、本件神殿を建立することを前提としてソニー歴史資料館と井深会館に挟まれた土地を紹介されたのが同年4月下旬頃ですから(甲30)、その間の平成4年3月下旬から同年4月中旬頃であることは間違いございません。

 

6 本件神殿の建立が決まった後、下倉設計、佐藤秀工務店の担当者とともに、ソニー本社にて盛田会長と面会いたしました。その後、神殿建立に向けた具体的な話は下倉設計、佐藤秀工務店及び被告村山室長らと進めていきましたが、鎮め物埋納に向けては盛田会長との間で綿密に打ち合わせをしております。

平成4922日、盛田会長は、被告会長室にて、机を挟んだところに私が立ち、見届ける中で「大願意」(13の写真⑫)や心の御柱の削り札(13の写真⑬)に想いをしたためられました。

 

(1)「大願意」(甲13の写真⑫)について

「大願意」には、大国主大神に対し、東京都品川区北品川6丁目6番39号外28筆を売地券として金30両、銀51両を添えて奉献する旨記載されておりますが、「200年」とは、大国主大神を主神として奉齋する原告常陸国と被告との間に200年に亘る合意が存在することを示すものにほかなりません。

また、「大願意」に、「銀51両」とあり、実際に銀小判は51枚枚納されておりますが、(甲13の写真⑮)、被告が銀小判50枚分の費用負担しかしていないことから明らかなとおり(甲15)、うち1枚は原告常陸国が費用負担し、埋納したものです。

原告常陸国の宮司である私及びその後継者が、責任をもって200年に亘る祭祀を執り行うことを示すものとして埋納したものであり、盛田会長がこの1枚を含めて「銀51両」と「大願意」に記したことは、盛田会長が私およびその後継者を本件神殿の共同経営者として、向こう200年の祭祀執行者であるとして認識していたことの証です。

盛田会長が大願意を認められた後、おおむね以下のような会話があったと記憶しております。

盛田会長:「これでソニーが今の世に存在した足跡が後世に残るね!」

高橋:「そうですね。」

盛田会長:「これ(大願意)が世の中に出てしまうと大変な事になるね。」

高橋:「そうですね。大変なことになるかもしれませんね。しかし、私も会長もその時にはこの世におりませんよ。それに創業者が建立した神社を壊すような大馬鹿者はソニーにはいないじゃないですか。」

盛田会長:「そりゃそうだ!そんな馬鹿者はいないだろうね!」

以上の会話は、原告常陸国と被告との間に200年に亘る合意があったことを示すものですが、まさか僅か25年余りで本件神殿が取り壊され、大願意が世に出ることになるとは、このとき思いもしませんでした。

 

(2)心の御柱の削り札(甲13の写真⑬)について

心の御柱の削り札は、大国主大神を宿す原告常陸国御本殿の心の御柱を削ったものです。盛田会長は、神に想いを届けるためにはどのようにするのが最善か、真摯に考えられており、私はその相談を受けておりました。私が、大国主大神を宿す原告常陸国御本殿の心の御柱の削り札に願いを認めることを提案したところ、盛田会長から是非用意していただきたいとの要望を受け、私が用意いたしました。盛田会長が心の御柱の削り札を埋納されたことは、「大願意」と相まって、被告が大国主大神に帰依していることを示しています。

(3)「常陸」「出雲大社」とある銀貨10枚(甲13の写真⑲⑳)について

盛田会長の「何の為にいれるのかね?」との問いに対し、「顕界幽界を見渡せるよう銀銭の中を四角に抜いた銀貨10両です。これは私が神々、特に大国主大神、須佐能大神外眷属神に奉納することでお力を戴き、盛田会長の想い(大願意)を守護し邪悪なものを祓い退け、常陸国の大神が最終責任をとることの証です。」とお応えしたところ、「分かりました。宜しくお願いします。」とご了承をいただきました。

 

7 平成4年10月19日午後6時半より鎮め物埋納式を、盛田会長自ら白装束にて執り行いました。大企業の会長が白装束で神事に臨む様なことがマスコミに漏れ、あらぬ風評が起こるとまずいことから、紅白の幕で用地を囲み、写真撮影も一切禁止といたしました。

まず神殿中央部の円筒空間に鎮め物が納められた石櫃を埋納し、事前に準備した砂、炭、石等を納め、その後に中央穴の周囲6か所に、盛田会長自ら隕鉄を埋納されました。巽の方角に隕鉄を埋納する際、隕鉄の磁力が強く作用したのか、私の手元の磁石の方位が定まらないトラブルもありましたが、盛田会長が渾身の力を以て「イエーッ!エーイッ!」と声を発すると方位が定まり、無事鎮め物埋納式が完了いたしました。

この日、石櫃に納められた埋納品は、以下のとおりです。

・「大願意」(甲13の写真⑫)

・心の御柱の削り札(13の写真⑬)

・五言律詩(甲13の写真⑭)

・金小判30枚(甲13の写真⑮、⑯、⑰)

・銀小判51枚(甲13の写真⑮、⑱)

・銀貨10枚(甲13の写真⑮、⑲、⑳)

このうち、銀小判1枚と銀貨10枚は、いずれも原告常陸国の宮司である私及びその後継者が、本件神殿の共同運営者として、200年に亘る祭祀につき最終責任を負うことの証ですが、これらは原告常陸国宮司としての私が自ら費用負担して埋納したものです。これは、被告が原告常陸国に一方的に祭祀を委託する関係ではなかったことの何よりの証拠です。原告常陸国が、被告からの祭祀の委託を受ける立場にすぎなかったのであれば、私が費用負担した「常陸乃社」と刻印された銀小判1枚、「常陸」「出雲大社」と刻印された銀貨の埋納を許されるはずがありません。

8 その後、平成5年4月、盛田会長とともに島根県の出雲大社を訪問し、本件神殿のために龍蛇神を譲り受けました。なお、本件神殿建立に際しての被告と島根県の出雲大社の接点はこの一度だけで、しかも盛田会長と出雲大社の当時の出雲大社教総監(現宮司尊祐)が話をしたのも10分、15分程度のことです。島根県の出雲大社は、我々原告常陸国と被告との間の合意には何ら関係がございません。

そして、平成5年5月に本件神殿が完成し、5月6日に神殿祭、遷座祭を執り行い、7日に物故社員慰霊祭を執り行っております。物故社員慰霊祭では、本件事故被害者の鳥山寛恕氏を含む400名超が奉斎されました。具体的には、被告の物故社員名簿を神前御扉前所定の場所に置き、私が物故社員の霊を名簿に招魂し、祝詞を奏上することで奉斎いたしました。

原告常陸国は、本件神殿建立にあたっての指揮監督の対価をいただいておりません。

平成4年7月、鎮物の諸費用を被告に対し請求しておりますが(甲第15号証)、これには本件神殿建立にあたっての指揮監督の対価は含まれておりません。私は、本件神殿を建立することが決まった平成4年春の時点で、原告常陸国社殿を造営中であり、私自身の神道的世界観を社殿構造に可視化しておりましたが、本件神殿は常陸国社殿の分社格の神殿として必要十分な構造を新たに作り上げました。しかしながら、共に200年を一区切りとして本件神殿を建立し、原告常陸国と被告とが本件神殿の共同運営者として祭祀を継続していくことを合意していたからこそ、本件神殿建立にあたっての指揮監督の対価は一切いただいておりません。

 

9 原告常陸国の御本殿と本件神殿の構造の概要についてご説明いたします。

原告常陸国御本殿の全体構造は、訴状9頁図1のとおりで、直径約1メートル、深さ約8メートルの地中構造を拡大すると同10頁図2のとおりです。地中から地上空間まで大国主大神の霊威を宿す1本の柱が貫かれ、地上の心の御柱と地中の石櫃とは神縁結紐で結ばれておりますが、地上部分は目に見える世界(顕世)、地中部分は目に見えない世界(幽世)であり、神殿中央部の周囲に埋納された隕鉄が顕世と幽世の結界を作り出しています(甲第23号証14頁最上段中央の写真下部の黒い石数個が隕鉄です。)。そして、地中の3層の石櫃には、本件神殿と同様に金小判300枚、銀小判500枚等の買地券が納めておりますが、これらは私が幽世の神々に願いを届けるための仕掛けです。地中の石櫃が3層構造となっているのは、幽世の過去・現在・未来の世界観を具体的に可視化したものであり、地中の筒状の粉炭、石、砂等も、過去・現在・未来の世界観を形成するための道具であり、細部に様々な意味合いを込めておりますが、基本的な構造は以上のようなものです。私の神道的世界観に従って、目に見えない神事の世界を可能な限り可視化したもので、地上部分の心の御柱という概念だけであれば古くから出雲大社にも見られますが、地中を含めた神殿構造は、明らかに私の経験、古くからの慣習その他全てを統合して作り上げた独自のものです。

一方、本件神殿の全体構造は、訴状12頁図3のとおりで直径約1メートル、深さ約2メートルの地中構造を拡大すると同13頁図4のとおりです。地中から地上空間まで大国主大神の霊威を宿す1本の柱が貫かれ、地上の心の御柱と地中の石櫃とは神縁結紐(甲13の写真⑦)で結ばれ、地上部分は目に見える世界(顕世)、地中部分は目に見えない世界(幽世)で、神殿中央部の周囲に埋納された隕鉄が顕世と幽世の結界を作り出し、地中の石櫃に幽世の神々に願いを届けるため売地券として金小判、銀小判等を納めているのは原告常陸国の御本殿と同じです(なお、国史大辞典に「買地券」と記載されているように(甲11)、通常は「買地券」と表現しますが、盛田会長は「売地券」と表現されました。顕世の権利(東京都品川区北品川六丁目六番三十九号他二十八筆の所有権)を全て神に捧げ、願うことを選択されたのでしょう。)。神殿の上部構造は、原告常陸国の龍神舎を模しました。以上のように、本件神殿が原告常陸国の社殿を模して(内部の基本構造は御本殿の内部構造に模して、外観は龍神舎に模して)建立されたことは明らかです。

怨霊鎮めのためには、原告常陸国の社殿を出来る限り模写した神殿を建立し、長きに亘り、最低200年祭祀を継続してゆくことが必要であり、私は、原告常陸国の神殿の構造や私が培ってきた神道的世界観の秘中の秘を、はじめて外部に開示し、社殿に準じる神殿を建立することを決意したのです。原告常陸国の社殿の以上の基本的な構造は、(本陳述書「5」のとおり)200年の合意をした際、盛田会長に当然お話しをしておりますし、その後も盛田会長と本件神殿の鎮め物の打ち合わせをする際もお話しをしています。盛田会長自身が、私の考え方に共感したからこそ、自ら大願意、心の御柱の削り札、五言律詩をしたためられ、地中最深部の石櫃に埋納された上、自ら平成4年10月19日の鎮め物祭を執行されたのです。盛田会長がこのことを周囲にどのように説明していたかは存じ上げませんが、意味の分からぬ神事に参加されるような方ではありません。被告は本件神殿に私の神道的世界観が表れていることなど聞いたこともないと主張していますが、被告の主張は被告の創業者の一人である盛田会長に対する不敬であると感じています。

 

10 平成5年5月7日の物故社員慰霊祭後の経緯はおおむね以下のとおりです。

物故社員の霊を招魂した名簿、すなわち名簿霊璽は、当初被告が保管し、日々のお供え、祭祀をすることとされておりました。名簿霊璽は、故人の霊が宿る依り代で、甲第17号証でその一部を示しております。平成5年4月8日付の被告から当社へのFAX(甲26)で、被告から本件神殿管理の日常作業を教えてほしい旨の連絡があり、その中に「お水、神饌など」とあるように、この時点では被告が名簿霊璽を保管した上で、日々のお供え、祭祀をすることとなっておりました。

しかしながら、物故社員慰霊祭後、被告から、名簿霊璽を被告で保管し、日々のお供え、祭祀をすることは難しいと申入れがございました。以後は、私たちが名簿霊璽を保管し、日々のお供え、祭祀を欠かさず継続しております。

 

11 平成6年8月以降、原告常陸国ではみたままつりを執り行っております(3月の春分、8月15日、9月の秋分の年3回)。みたままつりでは、お預かりしている御霊を拝殿に移動させ、お供え物を供えて祝詞を奏上し、参列の玉串拝礼を行っておりますが、被告物故社員の霊璽は祭壇最上段に奉安され、祝詞の初めの部分で「ソニーの物故社員の御霊」と称え奏上しております。

 

12 平成5年以降毎年、被告創立日である5月7日頃、表向きは物故社員の慰霊、裏では怨霊鎮めとして、本件神殿において物故社員慰霊祭を執り行ってきました。(なお、平成14年までは毎年の物故社員が名簿霊璽に追加されており、平成14年の物故社員慰霊祭時点で計861名分のみたまが名簿霊璽に招魂されておりましたが、その後新たなみたまは追加されておりません)が、物故社員慰霊祭については被告から原告常陸国に対し、毎年50万円の支払いがなされておりました。しかしながら、平成5年5月の物故社員慰霊祭以後、原告常陸国が名簿霊璽を保管し、社殿において名簿霊璽への神饌の供え、拝礼等の日々の祭祀を執り行い、平成6年8月以降は、原告常陸国において春・夏・秋の年3回のみたままつりを執り行うことと合意されたにも拘わらず、これらに際して被告が負担すべき金員についての合意はなされず、支払いがなされませんでした。

そこで、平成10年春頃、原告常陸国は、被告に対し、日々の慰霊祭祀、春・夏・秋のみたままつり及び本件神殿における物故社員慰霊祭の祭祀料として年間200万円の負担を求めました。

これに対し、被告は、被告の経理上の都合から、物故社員慰霊祭が執り行われる5月のあとに80万円、春・夏・秋のみたままつりの後に各40万円と分割して支払うことを提案し、我々はこれを了承いたしました。

その後は、平成27年までは原告常陸国と被告との間の合意どおり、3月末までに40万円、5月末までに80万円、8月末までに40万円、9月末までに40万円、年間計200万円が支払われてきましたが、平成28年2月9日、被告担当者らが、私に対し、唐突に同年の物故社員慰霊祭は執り行わない旨申し入れると、同年5月末までに支払われるべき80万円が支払われず、平成29年以降は一切の支払いがございません。

物故社員の霊を招魂した名簿霊璽は、現在も原告常陸国が保管しており、現在も日々供え物をし、慰霊を行っております。折々のみたままつりも続けております。被告は、本件神殿を取り壊し、一方的に関係を終了させる旨申し入れましたが、200年に亘り共に祭祀を執り行う合意は存続しておりますし、名簿霊璽を保管している以上、神主としては慰霊を続けないわけにはゆかないのです。

13 平成30年に入り、代理人間の事前協議の中で、被告が本件神殿の上部を移設し、地中の石櫃を開披する動きがあることを聞いてはおりましたが、私はあくまでも祭祀の継続を申し入れており、最終的には継続する方向になるだろうと信じておりましたので、平成30年5月23日、私が会得した全てのものを注ぎ込んで建立した、私の神道的世界観の表れである本件神殿の石櫃が開披され、破壊されたと聞き、愕然としました。200年に亘り本件神殿を維持し、共に祭祀を執り行ってゆく合意をしたからこそ、特別に建立したものであり、私の信仰を侮辱されたように感じましたし、原告常陸国に対する侮辱でもあると感じました。被告が本件神殿を破壊したことで原告常陸国と私が被った損害は、金銭的に評価すれば、それぞれ1億円を下ることはありません。

以 上

 

乙第7号証 平成31428日付記述の村山浩元秘書室長陳述書

(本陳述書は令和2824日に提出されているが、村山氏は令和元年1028日に亡くなっている。)

1 はじめに《本件お社の建立に至る経緯》

私は、株式会社日刊工業新聞社でき者として働いていましたが、本件訴訟の被告ソニー株式会社(以前の社名は東京通信工業株式会社。以下「ソニー」といいます)を取材したことがきっかけとなり、創業者である井深大氏(以下「井深氏」といいます)にお誘い戴き、昭和352月ソニーに入社しました。入社後は広報室長や秘書室長、総務部部長、参与等を務め、平成93月に退職をいたしましたが、退職後も、ソニーの創業者である盛田昭夫氏(以下「盛田氏」といいます)と縁のある敷島製パン株式会社の顧問や、2005年スペシャルオリンピックス冬期世界大会実行委員会財務担当理事、井深大記念奨学基金事務局長、盛田氏の資産管理会社である盛田アセットマネジメント株式会社の監査役及び顧問等を務めるなど、ソニーや盛田氏と関係のある事業会社で仕事をしてまいりました。

私はソニーにおいて秘書室長として、盛田氏と行動を共にすることが多く、

ソニー社殿(以下「本件お社」といいます)を建立するに際しても、盛田氏の命を受けて、島根県の出雲大社や出雲大社教、原告髙橋正宣氏(以下「髙橋氏」といいます)との協議の窓口を務めました。

2 本件お社の建立に至る経緯

  • ソニーの旧本社ビルの竣工と髙橋氏との出会い

ソニーの旧本社ビルは、平成2年、東京都品川区北品川5丁目の御殿山エリアにおいて竣工され、平成19年に東京都港区港南に移転するまで、本社機能を担っていました。盛田氏は旧本社ビル内に役員室を移転した後、役員である井深氏が病気になる等の事象が生じたことを受け、実家である造り酒屋で行われているしきたりにならい、旧本社ビルのお祓いをしなければならないと考えるようになりました。

盛田氏は、平成3年頃、知人より髙橋氏を紹介され、私は、盛田氏の指示により髙橋氏に連絡をとりました。

私は、髙橋氏が旧本社ビルを訪問した際、ソニーの役員の病気等があったこと及びお祓いをお願いしたことをお伝えしました。

高橋氏は旧本社ビルについて「気持ちの悪いビル」だと評され、「以前は五反田方面にあったと思われる守護神が今は無くなっている」とも言われました。また、髙橋氏に尋ねられ、過去にあった事故や事件をお話する中で、昭和54年に桜電気株式会社(以下「桜電気」といいます)の木更津工場でヘリコプター事故があり、搭乗していた大賀典雄氏(後のソニー社長)が大怪我をし、迎えに来ていた桜電気の代表取締役である鳥山寛恕氏(以下「鳥山氏」といいます)が死亡したことをお話すると、髙橋氏は事故現場の視察を希望され、一緒に訪ねたことがありました。

このような経緯を経て、髙橋氏より本件お社を建立してはどうかとの提案があり、盛田氏は、私に対し、平成36月にお社建立の検討するよう指示しました。

原告らは、訴訟において、鳥山氏の怨霊を鎮めることが本件お社の主たる目的であるかのように主張しているとお聞きしましたが、事故は12年以上も前の出来事で在り、本件お社の建立にそのような目的はありませんでした。

盛田氏が鳥山氏の葬儀に参列したのも、普段から冠婚葬祭を重んじる盛田氏が、故人を弔い遺族や関係者を慰めたいと考えて行ったものであり、それ以上の意味はありません。

また、1992(平成4)217日付「館山電子()の会社変遷と事故」と題する文書(甲第5号証)は、私が作成したものではなく、当時そのような文書を見た記憶はありません。

2 本件お社建立に関する出雲大社及び出雲大社教とのやりとり

1)本件お社建立の申請

本件お社建立に当たり、髙橋氏はあくまで出雲大社教下の一教会長の立場に過ぎず、建立を認める権限はないと理解していました。

私は、正式に出雲大社教にご相談するために、平成3年の年末に、出雲大社を訪問し、当時、出雲国造のご長男で、現在の出雲国造である千家尊祐様(以下「現国造」と言います)にお会いしました。

その際、本件お社を神社として建立するのか、その他の形態により建立するのかについて、現国造から、神社として建立する場合、本件お社は神社本庁の所有物となることなどをお聞きし、更なる検討の結果、神社としてではなく物故社員慰霊社と位置づけることにしました。

また、現国造から、井深氏と現国造が共に公益財団法人ボーイスカウト日本連盟に所属しており、当時、井深氏が同連盟の会長、現国造が同連盟の島根支部長の立場にあり、同連盟の活動を通じて個人的な信頼関係を築かれていることをお聞きしました。現国造は非常に親身に私の話を聞いて下さり、当時の出雲国造にも話をしてみるとおっしゃってくださりました。

こうした現構造へのご相談を踏まえて、ソニーは出雲大社教に対して、平成4124日、正式に社殿建設趣意書を提出しました。

2)本件お社建立の認可

盛田氏も平成4612日、自ら出雲大社を訪問し、私も同行しました。

その後、同年10月、出雲大社教よりご神体となる海蛇が浜辺に打ち上げられて発見されたとのご連絡を戴き、ご神体である龍蛇神(海蛇を松脂の秘法によって固めた物)を譲って戴けることになりました。その背景には現国造と井深氏との個人的なつながりがあったように思います。そして同年105日、出雲大社教より本件お社の建立について、認可の内示を戴きました。

このように、当初、髙橋氏に本件お社建立を勧められたという経緯はあったものの、ソニーに於いて本件お社を建立することを決め、出雲大社教より認可を戴くに至ったのは、あくまで出雲大社教および現国造とソニーの間で直接のやりとりに基づくものです。

3 本件お社の建立

1 本件お社の建立に関する具体的な作業は、髙橋氏が担当しました。髙橋氏は、当時、関東に所在した数少ない出雲大社教下の一教会長であったことから、現国造が髙橋氏に対して、ソニーに協力するよう働きかけてくださったと伺っています。ただ、私は髙橋氏とのやりとりにおいて、髙橋氏に、より高価な物をソニーに対して売り込もうというような商業的な傾向を感じ、それが気になっていました。

本件お社の場所については、外部から目立たない場所として、ソニーの方から、当時のソニー会館と井深会館の間に存在する土地を候補に挙げたところ、髙橋氏からはこの場所は方位的に大変良いとのお墨付きを戴き、その場所に建立することとなりました。

また、本件お社の形状については、当初、髙橋氏からは、屋根が3つもある大変豪華な社殿の図面を提示いただきました。しかし、それでは本件お社として華美にすぎ、費用も大変高額となり、また、本件お社の高さも高くなって外部から大変目立ってしまいます。そこで、私の方から、これをより簡素化し、また、鳥居についても、鳥居らしくない形状のものに変更することをお願いし、髙橋氏に了承して戴きました。それが現在の本件お社の形状です。

このような経緯にありますので、本件お社に、髙橋氏の神道的世界観が反映されているなどとは理解はしておらず、髙橋氏はあくまで出雲大社教下の一教会長として、出雲大社教の宗教観に則った様式により本件お社の最終的な形状を提案されたものと理解していました。現に当時、髙橋氏個人の神道的世界観について私が髙橋氏からお聞きしたことは無く、盛田氏からも、髙橋氏個人の神道的世界観について髙橋氏から聞いたという話もありませんでした。

なお、原告等は、訴訟に於いて、旧本社ビルの建て替えが検討されていたこと、それに100億円以上かかるとの試算であったにも関わらず、盛田氏が前向きであったこと。私が髙橋氏に盛田氏を思いとどまらせて欲しいとお願いしたこと、及び、盛田氏が2000年存続させることを前提とした社殿建立を希望したことを主張されているそうですが、そのような事実はありません。

旧本社ビルの建て替えについては、当時、髙橋氏が発案したものの、旧本社ビルは第三者である株式会社ニッキとの共有物件だったこともあり、およそ検討されませんでした。

 

2 鎮物祭

本件お社を建立する為の工事開始に際して、平成41019日、地鎮の為の鎮物祭が、髙橋氏によって執り行われました。それに先立ち、髙橋氏は、同年7月、ソニーに対して、地鎮に必要な鎮物として、金小判や銀小判、隕鉄及び水晶等の請求書を送付しています。その内容は隕鉄574万円を含む合計8625千円にものぼるものでしたので、結構高くつくものだと思いました。

私は、当時、これらの鎮物について、髙橋氏から、地鎮に必要なものであるとは聞いていたものの、それ以上の詳しい説明を受けたことはなく、出雲大社教の正式な儀式に必要な物であるのだろうという程度に考えていました。

鎮物祭の前日には、盛田氏が、六本木のアークヒルズ内のソニーの事務所で一人きりとなり、願い事を書かれました。盛田氏からは事後的に、筆で願い事を書いたことや、その中にはソニーの繁栄が200年間は続くようにと書いたものもあると聞きましたが、私は、当時、盛田氏が実際に書いた物を直接確認してはおらず、それ以上の詳しい内容について知らされませんでした。

石碑を開披した際に、唐櫃の内側に柳筥(やないばこ)があり、その蓋の裏に大願意(甲第13号証の写真⑬)と題する文章が記されていたとお聞きし、その文字を拝見しましたが、盛田氏の筆跡でないように思います。

なお、盛田氏は、本件お社の建立を決断する際、永きにわたってソニーが繁栄するようにという願いを込めたには間違いありませんが、本件お社を200年間にわたって維持する事まで考えていたわけではありませんし、また、本件お社の祭祀を200年間にわたってお願いすることをかんがえていたものでもありません。そもそも200年間にもわたって、具体的に建物を維持し続けるであるとか、誰かに物事をお願いし続けるなどということは、一民間企業には到底きめられないことです。

 

3 本件お社の建立

盛田氏は、平成5419日、再び出雲大社を訪れ、当時の出雲国造に御祈祷いただいた上で、龍蛇神のご神体を拝受しており、私もこの出張に同行いたしました。

そして、本件お社の竣工とご神体の拝受を受けて、同年56日、ソニーは新殿祭及び遷座祭を実施しました。

 

3 本件お社の建立後の髙橋氏とのやりとり

 

本件お社が建立された直後の平成557日、旧本社ビルのお祓いを目的として、本件お社において、髙橋氏による御祈祷が執り行われました。そして、翌平成65月からは物故社員慰霊の意味も込めて、祈祷が行われ、これは平成275月まで続いていたと聞いています。

以上

 

甲第33号証

宮司陳述書(乙第7号証に対して提出)

 

1 乙第7号証、村山浩氏の陳述書を提出を受け、過去の事実経緯について改めて確認したところ、私の陳述内容の一部に誤りを確認いたしましたので、以下の通り訂正いたします。

 

2 甲第32号証の陳述書の20頁で「8 その後、平成54月、盛田会長とともに島根県の出雲大社を訪問し、本件神殿のために龍蛇神を譲り受けました。」と記載いたしましたが、盛田会長と島根県の出雲大社を訪問した日時は誤っておりました。私が盛田会長とともに島根県の出雲大社を訪問したのは、村山氏の陳述書(乙7)4頁に記載されているように、平成4612日です。この頃、私は既に盛田会長に対し、神殿を建立する場合、島根の出雲大社から龍蛇神のご神体をも譲り受けることができれば、なお良い、とお伝えしておりましたが(甲3211頁)、龍蛇神を拝受するためには盛田会長が一度も島根県の出雲大社を詣でてないという状況は宜しくなかった為、表敬訪問をしたものです。本件神殿建立に際しての盛田会長と島根県の出雲大社の接点はこの一度だけで、しかも盛田会長と当時の出雲大社教総監(現宮司尊祐)が話したのも、10分、15分のことで、島根県の出雲大社は、我々原告常陸国と被告との間の合意には何ら関係がございません。

平成54月に龍蛇神を拝受した際、盛田会長は同行しておりません。このときは、村山室長が名代(みょうだい)として、出雲大社を訪問しております。龍蛇神拝受の際の写真がございましたので、末尾に添付いたします。盛田会長が同行していないことがお分かりいただけるのではないかと思います。

3 村山氏の陳述書(乙7)では、盛田会長が平成5419日に出雲大社を再訪したこととされておりますが添付写真のとおり、盛田会長は同行しておりません。なぜ、村山氏が、盛田会長が再訪したかのような陳述をしたのかわかりませんが、私の陳述書(甲3220頁に「平成54月、盛田会長とともに島根県の出雲大社を訪問し、」とあったことを受け、被告が陳述書の内容を一部差し替えたのではないかとの疑いが拭えません。

 

原告代理人落合

甲第32号証及び甲33号証(陳述書)を示す

甲33号証で修正した箇所を除く、甲32号証の陳述書に記載された内容と、甲33号証の陳述書に記載された内容は、あなたの認識通りであることに間違いないですね。

 

「間違いございません。」

 

かつて東京都品川区北品川6丁目6番39号付近に存在した神殿を、本件神殿と呼びますが、この本件神殿が建立された目的を教えてください。

 

「ソニーの社員の亡くなられた功労者に対して、その御霊を慰霊することと、もう一つはソニーの人々に取り憑いて、障りをなす悪霊の鎮魂でございます。」

 

功労者の慰霊というのはよく判りますが、それに加えて「悪霊の鎮魂」が目的の1つの目的に加えられたのはなぜでしょうか。

 

「私は当時、ソニーの秘書室長村山氏告発を受けております。そのことによりますと、昭和54316日に、羽田沖より大賀副社長他数人の役員が、千葉県木更津、旧桜電機の裏庭に着陸を試みましたが、折からの突風にあおられ、バランスを崩し、墜落を下ということで御座います。その時に、操縦桿を握っておられたのは、大賀典雄副社長であったということです。

 迎えに出てこられた、当時桜電機の社長鳥山寛恕氏は、大賀氏を助けようとヘリコプターに近づき、突然回転し始めたヘリコプターで頭を打ち砕かれ、死亡したということで御座います。

この忌まわしい事故は、当時ソニーの執行部に大きな衝撃となって、心の奥底に記憶されていくことになりました。更にこの事に関して、トップシークレットとして、機密事項として、執行部は現在も共有しているということでございます。そしてこの事は、隠蔽されていったわけで御座います。」

 

髙橋宮司は、この木更津の事故現場に行かれたことは御座いますか?

 

「村山室長と一緒に、この現場を訪問することになり、現場に立った瞬間に、強い霊気と意思を感じ、村山室長と、私が携えていた修法刀を以て、招魂神事を執り行った所、村山室長は全身に霊気を浴び、手足が氷のように冷たくなり、私の携えていた修法刀がカタカタと音がしたもので御座いますので、身の危険を感じ止めました。しかし数十年も経っているにもかかわらず、この強い霊気は通常のお祓いや神事をもって治まるものではございません。村山室長、腹を据えてしっかりと取り組んで戴かないと、問題の解決には至りません。そしてこのことを、今日起きたことを包み隠さず盛田会長には必ず報告をしておいて下さいと申しつけて、帰路につきました。

 

木更津の調査を含む一連の調査を踏まえて、高橋宮司は盛田会長に対し、どのようなお話をされたんでしょうか。

 

「私は当時、常陸国、今の茨城県笠間市福原に、土地は5万坪ほどでございますけれども、お社の御造営に取り組んでいる最中でございました。そこに首塚があり、以前より不穏な動きがあったものですから、関係者一同で、やはり招魂神事を執り行ったところ、全員金縛りにかかり、総代においては、アブが顔についても取り払うことが出来ないほど硬直してしまったわけでございます。その後、この実態は何かということで、郷土史を調べたところ、福原常陸之介という侍大将を筆頭に2,000人が、今の私共のちょうど鳥居が建っているところでございますけれども、討ち死にをしたということにたどりつきまして、この悪霊、巷ではまつろわぬ神というような呼び方をしているのでございますが、このまつろわぬ神を調伏祈願、慰霊しないことには、大社御造営など到底おぼつかないということで、私が会得した全てのものをつぎ込み、地上地下におなじ空間を作り、特に地下には石櫃を鎮めて、買地券という金銀をはじめ黄金を鎮めて、このまつろわぬ神々が、いずれ守護神となるように、祈願をして向こう2000年約束しているので御座います。当然村山室長から、もう既に聞き及びのこととは思いますけれども、御社においても、私共の霊魂に勝とも劣らず、非常に強い霊魂が存在しておりますと。これを調伏祈願するには、通常の神事や、あるいは御札を貼ったりしたことでは、到底おぼつきません。私共と同じように向こう2000年を目指し、お社を建立して、一緒に調伏祈願と慰霊をなさってはいかがですかと、もし其れが出来ないのであれば、この案件はお断りさせて戴きます。と申上げました。」

 

〇それに対し、盛田会長は、どのようにお応えになりましたか。

 

「平成2年旧三角ビル、私はこのビルを不吉なビルと称しました。このビルの会長室において、悪霊神事を執り行ったようでございますが、一向に好転せず、井深名誉会長の病気をはじめ、岩間社長の病気、そして死亡、大賀副社長の頭部の病気、そして5階に部屋を構えておられた役員がたの、次々に起きていく頭部の病気を現実に感じたときに、盛田会長が、とんでもない恐ろしい、何か障りを受けているのではないかということで、もしそうであるならば、その責任は自分に在ると、悪霊を断ち切り、文字通り墓の中に持って行きたいということでございました。もしお社の向こう2000年に亘っても、怨霊を鎮めていただけるなら、是非ともお願いしたいということでございました。もし大社が建立していただけるならば早く、早く一日でも早く建立し、鎮めて戴きたいと、切羽詰まって申しておられましたので、お引き受けしたものでございます。」

 

髙橋宮司が茨城県に建立されていたご本殿は、出雲大社教のしきたりにしたがって建立されたものではないのですか。

 

「お社の御造営というのは、神から強い啓示を受けるか、強い思いと志、そして全財産を投じて、御造営に取り組むものでございます。

いくばくかの資金援助でもしていただけるならまだしも、大社教のしきたりで取り組めるようなものではございません。

 

髙橋宮司は、どの様に独自の信仰的世界観を作り上げて、それをその神殿の構造に表わしていたのでしょうか。

 

私はものごころついた頃より、父親のそばで神とは何か、見えないか、可視化することはできないかということを重点的に、宗教体験を積んでまいりました。

大学を出てからも古神道をはじめ、日本の歴史、文化、伝統、慣習、さらに明治から大正における、偉大なる神道家たちの行法を一つ一つ学びながら、自分なりに行法、すなわち荒行で御座います。断食、あるいは瀧行というものを取り入れながら、私の世界観の中に取り入れ、完成してきたもので御座います。

具体的に可視化するということはどういうことかということを、常に思い、一つの地上に二つの神殿を建立し、それは左手と右手のように、似ているけれども少し違う。左手の神殿には大国主大神の霊威を宿し、右手の神殿には己が死して後、霊神として祀られると。要するにこの一体感、これをどう感じ取らせることができるか、それは大国主大神に手を合わせると同時に、祈るということは、いずれ自分が祈られる立場になるんだということをやったときに(手を柏手で打つ)、

新しい生命と大きな神様の力を戴けるということを可視化しようとしたわけでございます。そしてそれを縦型、即ち神殿に表わす場合は、地上8メーター、地下8メーター、地下には洞穴を掘り、過去現在未来、石櫃を納め、特に石櫃には、先ほど申上げたました買地券というものを筆頭に、己の持っている財産全てをそこに埋葬し、地神、大国主大神の力を大きくいただくと、そしてそれを。

 

《裁判長》申し訳ないですけど、もう少し質問に簡潔におっしゃっていただいていいですか。それから手を、拍手を打つだけだと残りませんので柏手を打つとか言う形で、代理人の方も確かめながらやって下さい。余りオープンにずっと続くと終わらないですよ。

 

「それで、それを縦型に直しますと、それをいずれ心の御柱に結びつけて、神縁結びとしてあたかも母親の母体と胎児が、臍の緒でつつまれるように結びつけて、それを六方の隕鉄で結界を作り、永遠性を持たせると。その全体姿こそが、私の世界観であり、私独自の構造だと自覚しているものです。

 

髙橋宮司のその神道的世界観を形成するに至った修行の内容だとか、常陸国のご本殿の構造が、お社内で恐らく通常の神道の内容から飛躍した、その宮司固有の神道的世界観に基づくものであることについて、盛田会長にご説明はされたのでしょうか。

 

「盛田会長は非常に頭脳明晰で直感力のあるかたでございました。一つのことを説明すると、まず10のことを理解している。そういう中で、これはなぜですかと、どうしてですかと、あなたはどう思うんですかというような質問をして、11つの神事を全て理解をし、得心を得て、得心を得たからこそ、私に全ての神事の統括責任を戴いたもので御座います。」

 

そうなりますと、盛田会長から常陸国のご本殿と同等に、2000年続く神殿を建てて、宮司固有の神道観による2000年の神事をお願いされたということになるんでしょうか。

 

「さようでございます」

 

最終的に2000年というのがつづいたのでしょうか。

 

盛田会長は2000年という思いが非常に強かったのでございますけれども、一企業が2000年は余りにも長すぎる、200年ではいかがですかという村山室長の意見を取り入れ、私も200年あれば、怨霊を守護神へと祈る事ができるというふうに判断したものですから、200年としたわけで御座います。

 

しかし当時、髙橋宮司は常陸で出雲大社教教会長であったのですから、被告は常陸国出雲大社ではなくて、あくまで出雲大社教に祭司を依頼したという認識だったということはありませんか。

 

状況が状況でございましたので、もし私に力不足っていうものを少しでも感じていただいたのならば、大社教におつなぎすることはできますということを申上げましたが、盛田会長は、大社教には一切依頼するつもりはないと。あなたが行う、あなたに全てを、神事を任せたいということをおっしゃっておったものでございますから、以後その話はなくなり、盛田会長が大社教に依頼したという認識は無かったと思います。

 

200年をお願いされたその神事というのは、宮司の世界観に基づくものであって、出雲大社教と一致するものではないということですけれども、具体的に本件神殿において行われた神事で、出雲大社教と明らかに異なる神事の例というものを挙げていただけますでしょうか。

 

今回の神事の中で、建立の中で、肝心なのは埋納神事で御座います。通常地鎮祭と言われるもので御座います。通常の地鎮祭ですと、衣冠束帯に身を包み、清酒でお清めをし、乾杯をして終わっていくものでございます。ところが、私共の今回の神事は、地下に2メーターの穴を掘り、60キロにもおよぶかという石櫃を、地上の三角錐に滑車を付けて鎮めてゆくもので御座います。盛田会長と共に、その滑車をすすめて、1つ1つ神事を行いながら、最終的に六方に隕鉄を鎮め終了するということでございます。

 

出雲大社教の神事で、被告の立場にある者自らが、これを執り行う神事というものはありますか。

 

それはございません。」

 

もし、数十年後には本件神殿を取り壊す可能性があるということを被告から説明を受けた上で、常陸国のご本殿に準じた構造の社殿の造営と神事の依頼をされたならば、髙橋宮司はどのようにおうじられましたか。

 

「それはお断り致します。大国主大神と地神を祭り、更にそれを数十年で、用済みだからと壊すというような、暴力的な行為は、到底不遜であり、荷担していくことはできません。

 

甲第13号証14頁(写真⑫)を示す。

これは鎮め物が入っている木箱の蓋の裏に、墨で書かれたもので、大願意とありますが、これはいつ、どこで、どなたが記載されたものでしょうか。

 

「これは旧三角ビルの盛田会長室において、私が見届け人となって、日付通り平成4年9月22日、事前に村山室長に貴船神社の清水と、それからお酢を送付しておいて、当日村山室長がそれを用意なされ、盛田会長が自ら硯に擦って、直筆で署名・捺印したものでございます。更に何故酢を入れたかというと、向こう2,000年たったときに、墨が消えても、赤外線を当てることによって、誰が何をどのようにこれをやったかということが明らかになるように、工夫をしたものでございます。この大願意は、私と盛田会長が、神の御名において取り交わした約定書で御座います。

 

大願意に、髙橋宮司のお名前が直接でてこないんですが、これはなぜでしょうか。

 

「買地券並びに金銀は、むき出しで唐櫃の中に鎮めた物ではございません。まずは奉書で包み、第2の奉書でつつんだところに、この神事の統括責任者は常陸社代表髙橋正宣、つまり私でございますが、署名・捺印をして、後継者として息子の名前を記し、更にそれを第3の奉書で包み、そして麻で結びきりにして、賣地券奉納・盛田昭夫と署名したものを埋納したものでございます。ただ石櫃を開けたときに、微生物に食べられてしまったのか、奉書の残骸しか残っておらず、そのようなことがあったものでございますから、今迄申し述べないできたのでございます。

 

13号証の17頁から20頁(写真15から18)を示す

17頁の写真15を見ると、金小判が30枚、銀小判が51枚が埋納されていたことがわかりますが、この金小判銀小判は、髙橋宮司が賣地券と呼んでいらっしゃるものですね。

 

さようでございます。

 

甲第13号証の19頁(写真17)を示す

金小判に常陸乃社と刻印されておりますが、これはなぜでしょうか。

 

これは、私共のお社に鎮めた小判でございます。そしてソニーにも同じ小判を鎮める事によって、地脈で通じ、神々に対し、思いを通じるように鎮めたもので御座います。

 

埋納されていたものの中で、甲第15号証の平成4713日付け請求書にはない、銀小判1枚と銀貨10枚がございます。この銀貨10枚は甲第13号証の21頁写真1922頁の写真20のものですが、この分は被告に請求されず、原告常陸国自身の負担で埋葬されたということになりますか。

 

はい、さようでございます。

 

このことは、盛田会長はご存じでしたか。

 

盛田会長に了承を得ております。そしてその意味は、盛田会長自身が我意として進めたことを、私共常陸乃社の責任者が、その全体の統括責任を負うということを明らかにするために鎮め、もし不遜なことが起きた場合は、盛田会長に神々の神罰が無く、この責任は私共が負うということで入れたもので御座います。

 

被告と原告常陸国とは、それぞれ平成41019日の鎮め物の埋葬に於いて、どのようなことを大国主大神の前で誓約したことになるのでしょうか。

 

「それはお社を共に建立し、向こう200年、必ず約束を守ると、調伏祈願ならびに鎮魂祭を、まつろわぬ神が、守護神になるまで、必ず続けるということを誓約したものでございます。

 

 

〇最後に述べておきたいことはおありですか。

 

「被告は井深名誉会長、盛田会長、ならびに岩間社長、鳥山社長、合計861名の霊魂を、私たちと共に平成28年迄執り行っております。それが書面一通で放棄しております。更に石櫃は向こう200年、私と盛田会長が紙の御名に於いて、お約束して鎮めた物であるので、決して壊してはならないということを申上げておりましたけれども、そのような約束はないと。そのような痕跡を、関係者から聞いたけれどもないということで、暴力的に私を立会い人から外し、壊したもので御座います。そして中に鎮めたまつろわぬ神々を放出するという暴挙にでたわけでございます。盛田会長と井深名誉会長がソニーの行く末を思って建てたお社を、さしたる理由もなく取り壊すということなどは、常軌を逸しており、悔い改めて、現況に戻し、元の姿に戻して戴きたい。

更に被告は、大社教という、あたかも何か関係があったような言動を繰り返し、牽強付会な行動をとっておりますが、ソニーのお社は私の神道観に基づいて、私の神法を駆使し建立したものであって、大社教とは一切関わりがございません。ということを申し添えておきたいと思います。

 

 

被告代理人

先ず、今主尋問の中で、貴方が独自の世界観と言うことについて少しお話いただいたかとおもうんですけども、これ、あなたがご説明された世界観というのは、大社教からは許容できない世界観なんでしょうか。

 

いや、別物で御座います。

 

全く別物の世界観ということなんですか。

 

さようでございます。

 

あなたは、本件お社を建てたときもそうですけれども、出雲大社教の教会長という立場にありましたけれども、それであるにもかかわらず、全く別物の神道的世界観というのを得ていたということですかね。

 

さようでございます。

 

貴方が出している訴状には、常陸教会の社殿に関して、買地券、隕石、隕鉄、水晶などを駆使したというふうに書いてありますけれども、この中で出雲大社本殿に使われてない、貴方独自の物というのはどれなんですか

 

すべてです。

 

今おっしゃられた、私が申上げた全ての物というものは、出雲大社教には使われていないと、こういうことですかね。

 

つかわれておりません。

 

あなたは、先ほどの主尋問の中で、盛田さんにもあなた独自の世界観、これを説明したというふうにおっしゃいましたよね。

 

はい。

 

あなたの陳述書の中には、常陸教会の社殿の基本的な構造を話したというふうに書いてあるんですけれども、独自の世界観について話したというようなことは書いてないんですけども、陳述書に書いてないのはなんでなんですか。

 

1つ1つの神事そのものが、私の世界観でありますので、その全体を把握して、更に盛田会長は非常に興味を持って質問されておりましたので、説明したということでございます。

 

陳述書に書いてない理由については、特に判らないですかね。

 

ええ、ちょっと分かりません。

 

あなたは常陸教会の神殿の構造について、秘中の秘というふうに述べられているかと思うんですけれども、この秘中に秘について、あなたではない外部の者で、それをしっているかたというのは、盛田さん以前にはいらっしゃいましたか。

 

ほとんどおりません。

 

ほとんどというのは、いるんですか。

 

私の師匠に1人おりまして、そういう話をしたことはございます。

 

あなたの師匠と盛田さん以外にはいなかったということですか。

 

おりません。

 

では、盛田さん以後はいたんですか。

 

おりません。

 

あなたは盛田さんに対して、その場でご説明された神殿の構造というのは、これは秘中の秘なんですということは説明されたんですか。

 

秘中の秘と言う言葉はつかいませんでしたけども、私が独自で、怨霊ですね、怨霊というものを鎮めようとしたときに、私が独自で考案している構造であるということを説明いたしました。

 

その独自の構造というのは、出雲大社教のものとは違うということも説明されてるんですよね。

 

もちろんです。説明しております。

 

その場で、秘中の秘と言う言葉は使わなかったということなんですけれども、これは秘密のことなんです。であるとか、盛田さんから他の方に説明しないでくださいねとか、そういうことはおっしゃられたんですか。

 

そんなことは申上げておりません。

 

そうすると、独自であるということだけおっしゃられたということですか。

 

さようでございます。

 

つづきまして、被告の社殿、本件お社といいますけれども、そちらの方の構造についてもちょっと教えていただきたいんですけども、常陸教会の方の社殿には、天鳥船というものがあるんですか。

 

はい。

 

本件お社にはあるんですか。

 

ございません。

 

本件お社に天鳥船がないのはなんでですか。

 

用意出来なかったことが、まずございます。

 

誰が用意出来なかったんですか。

 

私がです。

 

用意出来なかったのは、なんでですか。

 

手に入らなかったということです。

 

常陸教会の社殿の天鳥船というのは、何でできているんですか。

 

それは隕鉄です。

 

そうすると、本件お社で使うためには、どうすれば、何が用意できなかったんですか。

 

隕鉄です。

 

本件お社で、埋められている隕鉄とは別に、更なる量の隕鉄が要ったということですか。

 

さようでございます。

 

その隕鉄なんですけども、常陸教会の天鳥船については、その天鳥船の上に存在しているんですか。

 

・・・船を造って、心の御柱があって、心の御柱は上の桁には届いておりません。ですからその上の、桁の上に船を置いて、それで隕鉄を載せて、これは別個の動きで御座います。

 

今あなたが右手で、あなたの頭の上で左から右にうごかされていたのが桁というもので、隕鉄自体はその桁の上に存在しているということですか。

 

船を造って、その上に鎮座しているということです。

 

では、本件お社では、隕鉄って何処にあるんですか。

 

隕鉄は地下の六方でございます。

 

そうすると、常陸教会と本件お社では、隕鉄の場所が違うとおもうんですけども、これはあなたにとってはたいしたことではないということなんですか。

 

お社というのは、下の地下の洞窟と心の御柱がいったいとなっていて、ということが一つの基本で御座います。上に天鳥船を載せるというのは、必ずしもソニーのお社に乗せる必要はございません。

 

ソニーのお社に載せる必要が無いのは何故ですか。

 

お社っていうのは、それぞれ別個の力がありますので、それに応じて若干の違いが起きていて、当たり前の事で御座います。

 

そうすると、隕鉄の位置自体は、結局重要な物ではないというふうに聞いておけばいいですか。

 

いや、そうではなくて、状況に応じて用意出来ることができれば、それは用意した方がいいにきまっているんですが、用意できないものは、とにかく今回のソニーのお社に関しては、早く早くと先ほど申上げましたが、切羽詰まった状況でありますので、取り敢えずなくてもいいものであるならば、着工したということでございます。

 

本件お社について、もう一点だけなんですけども、法的には、本件お社は被告ソニーの所有物になると思うんですけど、この事自体にあなたは異論はありますか。

 

違和感は御座います。

 

その違和感というのはどこですか。

 

大願意にあるように、買地券他ソニーさんの29番地28筆を奉納するということすから、奉納と言うのは私共の数々ではその神事が終わった段階で、完結です。

 

ではそうすると、違和感はあるけれども、ソニーの所有物ということに法的になっているということについて、特に異議は申し入れなかったということですか。

 

法的うんぬんの話は盛田会長としたことはございません。

 

それでは今回あなたが、あなたと原告の常陸国がソニーと合意したと言っている合意の中身について、ちょっと聞きたいんですけども、まずこの合意は、あなたの認識では、いつ成立しているんですか。

 

日にちは確定してないと思いますが、3月下旬だと思います。

 

何年ですか。

 

平成4年でございます。

 

平成4年3月下旬ですか。

 

下旬です。

 

その3月下旬に何があったんですか。

 

私がこの一連の事業に携わる中で、実は様々な問題がありました。そして、それを突き詰めていくと、京都が、確か準備書面出だしているとおもいますけど、出張しまして、この神々に関わる部分ということをまずクリアして、それをきちっとご報告してから。

 

この平成4年3月下旬になにがあったかということを、端的に言うと何があったということですか。

 

盛田会長とお会いになって、説明したということです。

 

どこで会ったんでしたかね。

 

盛田会長の会長室です。

 

その会長室には、他に誰かいましたか。

 

村山室長が在席していたと思います。

 

ではその場には、盛田会長と村山室長とあなたと3人だったということですかね。

 

さようでございます。

 

その会長室で会われたときのことなんですけれども、その場で200年にわたって祭祀を痛くします、受託しますと言う話はあったんですか。

 

文書に書いて、こうだこうだって話はございません。全体として、この神事に関わる、盛田会長が背負っておられる思い、特に悪霊という、そういうことを説明していくのに、そこで200年がどうのこうのじゃなくて、盛田会長が私共の2000年を目標に2000年ということで、ただそこに村山室長がおって、独立して、200年ならどうかということを言われたので、200年で区切りをつけたものでございます。

 

では最終的に、あなたが言っている平成4年3月下旬に会われたときに、最後には200年祭祀を委託します、受託しましたという話になったんですか。

 

さようでございます。

 

その場で、じゃあこの200年にわたって祭祀をすることについて、祭祀料とかお金はどうしましょうかっていう話にはならないんですか。

 

そんなお金の話なんか一切しておりません。ほとんど。なぜならば、そういう心配をするかたではないと、私が自覚しておりましたので。

 

そうはいっても、契約ということなので、お金について決めないといけないのかなというふうに、素人的には思ってしまうんですけど、あなたとしてはいつ決める予定だったんですか。

 

最終的に平成4年9月22日

 

そうすると、この平成4年3月下旬の時点では、まだお金のことは何も決まっていなかったということでいいですか。

 

よく意味がわからない。お金のことは毎回決まってなかったって、何のお金で御座いますか。

 

祭祀料について、金額のことは決まってなかったというふうに聞いておいていいですか。

 

祭祀料っていうのは、どの祭祀料でございますか。

 

では、そのあなたが言っている本件合意に関して、被告からあなたに支払うお金については、何も決まっていなかったということでいいですか。

 

ええ、何も。その時点で、祭祀料に関しての話は何もございません。

 

さきほど大願意について主尋問でお話しされていましたけれども、確認なんですが、大願意の文案自体はあなたが考えたんですか。

 

モデルは私が提示しました。

 

モデルというのは、誰に提示したんですか。

 

盛田会長です。

 

それはいつ提示したんですか。

 

・・・ちょっと記憶が、いつ提示したかっていわれると、日にちの確定はできません。

 

平成4年3月下旬よりもまえですか。

 

いや、そんなことはありません。

 

じゃあ、平成4年3月下旬、その場でいきなり見せたということですか。

 

いや、そのときもその原案を見せたわけでもございません。

 

ではいつ見せたんですか。

 

どのようにそれを鎮めるかというところで、盛田会長より質問があり、こういう形でいかがですかと、こういう形が基本ですと言うことを申上げております。

 

なのでそれがいつのことなのかというのを聞きたいんですけども、それは直接盛田会長に会って言われたか紙を見せられたんですか。

 

渡したと思います。

 

あなたは先ほど主尋問の中で、村山さんに見せたというようなこともおっしゃってたかなと思っていたんですけど、村山さんに見せたわけではないんですか。

 

村山さんにも見せていると思います。

ちょっとどっちか覚えてないということなんですか。

 

いや、両方多分、私、お見せしております。

 

それは会って見せているんですか。

 

・・・会って見せてるんです。

 

そうすると、モデルはあなたが作ったということですけれども、これの大願意の中には、先ほど200年間祭祀を執り行うというようなことまでは明記されてないんですけど、これを入れなかったのはなんでなんですか。

 

入れなくても理解出来るからでございます。

 

誰が理解できるんですか。

 

双方で。

 

あなたの陳述書によると、この大願意について、盛田会長が書いたときに、「これが世の中に出てしまうと、大変な事になるね」というコメントがあったというのがあったと思いますけど、ここでいう大変なことって何ですか。

 

まあ、天下のソニーでございます。カリスマ社長である盛田会長が、このような神事を執り行い、なおかつその内容が世にでるようなことがあると、当然皆さんは動揺するということで、そういう話をしたんです。

 

そうすると、あなたとしても、この本件合意の内容というのは、ソニーが外部に出せないような、不本意な内容だというような認識があったということですか。

 

別にそれはありません。ただ、200年先までは開披されないということが前提でございますので、入れることはないという認識の元でお話をしています。

 

因みに200年先まで開披されることはないというようなことも、大願意に書いてないんですけども、それを書こうとは思わなかったんですか。

 

神様にものをお願いし、まして向こう2000年を見据えてやったときに、通常で言う、浮世でいえば契約書で御座いますか。そのような物を書いて、判を押すなんてことはございません。

 

神様の前での契約では、そうなのかもしれないですけど、其れとは別に契約書を作っても良かったと思うんですけど、それを作らなかったのはなぜですか。

 

契約書を作る必要はないと、もう既に実態が全てであると。ですから、私の名前を奉書に書いて、中に入れておきましたけれども、それで十分だと思ったんです。浮世のしがらみにとらわれて、神事を執行するなんて不純なことは、なかなかできませんので。

 

訴状の24頁を示す

この訴状の14行目なんですけれども、なおこの損害額は、200年予定されていた祭祀が続かなかったことによる祭祀料等の異質利益は含まれていないと、こう書いてあると思うんですけれども、これは、あなたの主張では、ソニーはその祭祀料を支払うことは出資だというふうに主張されていると思いますけれども、ここを読むと、原告常陸国が得るはずの利益というふうに読めるんですけれども、ここで遺失利益と書いているのはなんでなんですか。

 

これは祭祀料のことを書いたわけです。

 

祭祀料と、被告が出資に伴って負担しなければならない金銭というのは、貴方にとっては別だという認識ですか。

 

別に区別して、申しておりません。ただ、この祭祀料というのが、下がることは先ずございません。年々、あるいは5年、・・3年、5年ということで、改訂していくものでございますから、向こう200年に向かってそれは、ときの状況にもよりますけれども、それは話し合いによって解決していくということを含めて、祭祀料のことをわかりやすく遺失利益と書いたのでございます。

 

ここで言う祭祀料なんですけれども、あなたが言っている被告ソニーと原告常陸国との組合契約ということになれば、この売り上げというのは、その組合に計上するべきものなんじゃないかなと思うんですけど、被告ソニーが支払っているこの祭祀料というのは、原告常陸国の売り上げになっているんですか。

 

私共の社入でございます。

 

社入というのは何ですか。

 

お社に入るお金ということです。

 

それを、組合の、1回売り上げではなくて、原告常陸国の社入ですか。社入にしているのはなんでなんですか。

 

それは私共の人件費だからでございます。

 

そうすると、この組合契約に基づいてソニーが支払うべきお金というのは、あなたたちに対する人件費だということですか。

 

当然それは含まれると思います。

 

先ほどあなたは、盛田さんが大願意を書かれたときに、大変なことになるというお話をしておりましたけれども、盛田さんはこの合意をすることについて、会社の了解を得ているというふうに思っていましたか。

 

いや、そのことは想像しておりません。

 

盛田さんといえども、いくら何でも200年にわたって債務を負担するような契約をするときというのは、会社ですので、取締役会などの機関けっていをしないといけないというふうには思わなかったんですか。

 

村山室長が、そのような話はちょっとしたことはございましたけども、絶対実力者でございましたから、まあ私はそれほどの思いをそこにはいたしておりません。

 

続きまして、鎮物祭と読めばいいんですかね。これについてお聞きするんですけれども、本件お社の鎮物祭には、出雲大社教のかたも出席されていますよね。

 

それは私共のご本殿でございますか。

 

いいえ、ソニーの鎮物祭です。

 

それは、常陸国出雲大社の神職ではございませんか。出雲大社の・・

 

甲第14号証を示す

これは被告ソニーの鎮物祭のスケジュールなんですけれども、ここで上かr12行目に、髙橋教会長、大塩氏、下倉先生ですかね。この方々というのは出雲大社教のかたではないんですか。

 

これは、全部私の手のうちのものでございます。

 

てのうちのものというのは、常陸教会のかたということですか。

 

さようでございます。建築会社のものが入っておりますので、下倉設計というのは、私共のご本殿を設計したものでございます。大塩は私共の職員でございます。

 

そうすると、被告ソニーの鎮め物祭には、確認なんですけれども、出雲大社教のかたは出席していなかったということですか。

 

一切でておりません。

 

甲第3号証を示す

3頁目ですけれども、まずこの甲第3号証は、原告常陸国の長谷川さんというかたが、これまでの経緯を宮司、これはあなただと思いますけれども、確認して、被告宛に差し出した書面なんですけれども、この13行目には、「買地券料は盛田会長自身にて、200年の思いを祈願を込め、石櫃の中に御神納しております」というふうに書いてありますけれども、ここで大願意のことが書いてないのはなんでなんですかね。

 

これは、私の職員である長谷川がやりとりをしてかいたものでございます。失念していたのではないでしょうか。

 

この甲第3号証の作成の経緯として、あなたに確認してというふうにかいてあるんですけれども、あなたはこれを見てないということですか。

 

いや、見ておりましたけれども、そこの部分は失念しております。

 

続きまして、同じページ、先ほどと同じ行ですけれども、買地券料、金銀50枚というふうに書いてありますけれども、被告の社殿に、石櫃の中に入っていた金小判30枚じゃなかったですかね。

 

・・・いや、両方で80枚じゃないでしょうか。

 

すみません、ここには金銀50枚としかかいてないんですけれども。

 

単なる錯誤だと思います。

 

そうすると、これは間違いだということでいいですかね。

 

さようでございます。30枚、50枚、合計80枚だと思います。

 

金銀50枚というのは、各50枚ではなくて、合計50枚ということですか。

 

いえ、そうではなくて、30枚と50枚ですから、80枚ですから、間違えているということです。

 

私は、この金銀50枚というのを、金と銀50枚ずつというふうに、ここの書面では書きたかったのかなと思ったんですけれども。

 

そうじゃございません。

 

では、長谷川さんはここの金銀50枚というのは、どういう数字だというふうに書いているんですかね。

 

そう思ったんだと思います。

 

裁判長

ただそういうふうに思ったというのについて、金銀合わせて50枚と思って書いたのか、金50枚銀50枚と思って書いたのか、どちらだと思いますかという質問だと思います。

 

金は30

 

いや、実際のじゃなくて、ここに書いてある数字の50枚の意味をどういうふうに理解したんですかということです。

 

間違えたんだと思います。

 

間違いとかじゃなくて、ここに書いてあるじゃないですか、50枚って。この50枚の意味は何ですかと。これが合ってる、間違ってるって聞いてないんですよ。質問はわかりますか。

 

被告代理人

長谷川さんがどういう意図で書かれたかと、あなたは思いますかという質問です。

 

・・・意図は、多分錯誤だと思います。

 

そうすると、本来銀小判は、実際は51枚だったと思うんですけれども、ここのお手紙の中に、その1枚というのを常陸教会が負担したと、これがあなたにとって大事なことだと思うんですけど、これが書いてないのはなんでなんですか。

 

・・・いや、それはわかりません。

 

じゃあ、あなたはこの手紙は全くチェックしてないということでいいですか。

 

いや、チェックはしましたけど、そこまで思いが至ってないということでございます。

 

そうすると、あなたにとって、金小判30枚、銀小判51枚、実際に入っていたことは、チェックに値しないということですか。

 

そんなことはないんですが、ここの段階で、そこまで確認をしきれてないということでございます。

 

同じく甲第3号証の次のページ、4ページ目ですけれども、この常陸国出雲大社の意向という項の①の部分ですけれども、「万が一社殿解体を実行される場合は」と言うふうに書いてあるとおもうんですけれども、そもそも解体してはならないというふうに書いておらず、解体を想定したような記載をここでしているのはなぜだったかわかりますか。

 

分かりません

 

解体した場合に、あなたの宗教的人格権が侵害されるというようなことも書いてないですけど、それは書いてない理由はわかりますか。

 

この段階で、最終的にソニーさんは、お社を壊すなどということに至らないという気持ちで、それをとどめるために、取り敢えず文書を出して、とどまっていただきたいという思いで書いておりますので。

 

だから書いてないということですかね。

 

さようでございます。

 

裁判官大橋

客観的なところなんですけれども、島根県の出雲大社との関係性について伺いたいと思うんですけれども、今回の原告常陸国出雲大社と、島根県にある出雲大社は、当初は包括関係にあったと、こういう話だったかと思うんですが間違いないですか。

 

間違いございません。

 

これは、いつから包括関係にあったということになるんでしょうか。

 

それは、常陸教会というのは名称を変更して常陸教会になっております。前身は初台教会でございますから、その先ですから、私の父親の友人から、これは引き継いでおりますので、そのときからですから、法改正が昭和26年位だと思うんですけども、そこら辺から包括関係は結ばれていたと思います。

 

23号証を示す

3ページ目、左下に3と書いてあるページですね。ここの昭和579月というところに、教務本庁(島根県より)と、許可が下りたものに電話とあると、こういう話があるんですけれども、これはどういう意味なんでしょうか。

 

これは出雲大社東敬神教会というものを設立したときに、御分霊を運んで戴いたということだと思います。

 

素人の考えで恐縮なんですけれども、この御分霊の奉齋というのは、どういったものなんですか。

 

御分霊というのは、目印でございます。目印に神様がお遷りいたしましたよというものでございます。

 

それを、要は島根県の出雲大社から、あなた方が承るというか、そういったことについての許可が下りたと、そういう話なんですか。

 

さようでございます。それが包括関係というものでございます。

 

そうすると、昭和579月から、9月に許可を得て、これを見ると11月に取りに行ったというふうに書いてあるんだけれども、その頃から包括関係があったと、こういう話になるんですか。

 

実はこれ、小さな箱でございますので、実は先代から移ったときになくなってしまった場合がございました。後にすみません、足していただけますか。ということで、そういうことになったんです

 

もともと包括関係があって、これがなくなったと、先ほど言っていた御分霊がなくなったので、新しいものを下さいということで、また許可が下りてもらったと、こういう話なんですか。

 

さようでございます。

 

14号証を示す

先ほどの鎮め物祭の話なんですけれども、1019日のスケジュールということになっているようですが、10時のところに、「出雲大社より再度搬入」と書いてあるんですが、ここでいう出雲大社というのは、島根県の出雲大社を指すのか、それともあなた方の大社のことなのか。

 

常陸教会ということでございます。

 

裁判大谷

あなたの今日のお話とか、陳述書で述べている神事と言う言葉、それは祭祀を行うっていう言葉もおっしゃっていまいたけど、これは大体同じ事だと理解してよろしいですか。

 

同じ言葉で、理解でよろしいと思います。

 

今回の神殿、もしくはお社ですよね。お社については、あなた独自のものだと、こういうふうに伺っているんですけれども、祭祀とかはどうなっているんですか。あなた独自のものなんですか。

 

祭祀は私も、出雲大社教の教師であり、神社本庁の資格を持っております。ある意味で、テキストというんですか。神社界における神事を基本にしております。

 

ちょっと場面が変わって、被告の方から、200年にわたって神殿を維持して下さいと、それから神事を行って下さいと、こういうふうに言われたということでしたね。あなたの方から200年やりますと言ったわけではないわけですね。

 

盛田会長のご意思は、2000年という思いが非常に強かったものですから、200年と私が言ったのではなく、村山室長が一区切りとして200年でいかがですかってことを申上げた。

 

被告側の方から2000年とか200年とか、そういう数字が出てきたということでよろしいですね。

 

さようでございます。

 

それについて、あなたの方で、200年で最終的にはまとまったということでしたけど、祭祀を200年続けるとなると、あなたの方では多分200年生きられないじゃないですか。それってどういうふうにお考えだったのか。

 

当然私の後継者に継ぎ、そのまた後継者に引き継ぎ、常陸国の、今常陸国出雲大社という名称でございますが、続く限りということを意味しております。

 

まさに、今回は逆の立場というか、あなたからすれば、被告の方が約束を破っちゃって、その大社を25年間しか維持できなかったんじゃないかと、こういうことで訴えられていると思うんですけども、あなたの方ももちろん後継者に任せたいと思って居たとは思うんですけれども、いろんな事情があってできなくなることもあるじゃないですか。その時はどういうふうにお考えだったんですか。

 

盛田会長はですね、企業というのはリーダーの間違いによって倒産することもあり得ると。しかし、お社はそうじゃないと。ソニーが潰れてもお社は残るということを、私に言われて、それがどういう意味か、までは深く考えませんでしたけど、そういう思いでこのお社を建立したのだと思います。

 

お社は形が残るから、それはそれでいいです。私が言いたいのは。

 

それを壊さないってことは、全て前提だと思います。

 

私が伺いたかったのは、2つの内容があって、そのお社の方と、あなたの方では祭祀も200年続けるんだと、こういう約束をしたと、こういうことでしょう。だから、その200年続けられなかったときのことは、あなたの方はですよ。原告の方が、ちょっと言い方は悪いですけれども、あなたの後継者がどこかで途絶えてしまって、200年続けられなくなりましたといったときに、今回と逆の問題が生じますよね。そこは考えませんでしたかと聞いているんです。

 

それは考えておりました。それは私共は、祖霊殿というものがございますから、祖霊殿でそれをどう引き継いでいくかということを日々思案しながら、国の指導を受けながら、ただそれをどう続けていくか、また潰れないようにどう努力をしていくかということだと思います。

 

まさにそう、努力をされていると思うんだけども、不測の事態は必ず起きるので、そういったことは取り決めておかなかったんですかと。

 

その時点では取り決めていませんでした。

 

裁判長

常陸国出雲大社とうのは法人ですよね。

 

はい。

 

財産についてはs、宗教法人でおられるから、お社とか財産関係は登録とか、何か目録を作るとか、そういうことはされているんですかね。

 

当然、出来る限りのことはしております。

 

登録してるんですか。目録みたいなのを作るんですか。

 

法人としての登記でございます。

 

じゃなくて、法人の持っている財産です。どういうお社があるかとか、何を財産としてもっているかということについては、どうやって明らかにしているんですか。

 

それは全部報告する。土地、建物、資金等は、今は県でございますけど、県に全部報告じております。

 

報告届け出してるんですね。

 

はい。

 

今回、問題となっている北品川にあるソニーの敷地にあったお社というのを、そこに財産として登録したり、報告したりしたことはありますか。

 

それはございません。

 

それはなぜですか。

 

する必要はないと思っておりました。

 

なぜ必要がないのですか。

 

盛田会長がご存命でありましたので、信頼関係で全て執り行っていくと。

 

それはソニーのものだからではないんですか。

 

ソニーの土地の、ソニーの名義の上に、土地の名義の上にお社があるということだと思います。

 

ソニーの上にお社があっても、常陸国出雲大社の財産であれば、報告しなきゃいけないんじゃないですか。

 

それは、しなくてもいい、いいのではないでしょうか。

 

どうしてですか。

 

・・・そういうことを事例として、実はしたことはございません。

 

常陸国出雲大社の本殿というんですかね、茨城にあるお社もありますよね。それは報告してないんですか。

 

それはしております。

 

そっちはなぜ報告しなきゃいけないんですか。

 

それは役所からの指示がございますので。

 

 

 

 

以上

 

上記内容をご覧になった信者様より以下のお手紙が当社に届きました。

ソニー(株)との裁判について、一般信者様よりご意見を承りました。

 

 

 

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宗教法人 常陸国出雲大社

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茨城県笠間市福原2001番地
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定休日 なし

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