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社務所ブログ

2019/02/12 週刊現代の記事についてのご報告。

mx-2640fn_20190212_090310_001先日、週刊現代2月9日号に「創業者・盛田昭夫の作ったソニー神社が現経営陣に取り壊されるまで」という記事が掲載されました。

この記事については当社も取材を受け、ソニー側に対し訴訟を起こしたことは事実であり、ホームページ上では裁判の詳細については記しませんが、閲覧希望があれば社務所にて対応させていただきます。

以下、記事の内容を記します。

 

社員も知らなかった神社

遡ること四半世紀前、‘92年10月19日午後6時30分のこと。品川・御殿山のソニー本社(当時)敷地内の一角に、10人ほどの男たちが集まり、社員は誰も知らない神事が極秘裏に行われていた。怨念を封じ込める儀式だ。

紅白幕に囲われたなかでは、白装束姿の男たちが、真剣な表情で地面に掘られた穴を見つめていた。中心にいる71歳の白髪男性は、真剣な表情で「隕鉄」と呼ばれる鉄隕石を、穴に埋めていった。

鉢巻き姿に白装束のこの人物は、盛田昭夫。ソニー創業者にして、当時は代表取締役会長。日本初のトランジスタラジオやウォークマンの生みの親だ。

突然、方位磁石がくるくる回りだした。盛田は驚いた表情だったが、宮司は言った。「腹を決めて、想いを強くされれば、鎮まるはずです。これは盛田会長しかできません!」

磁石は止まった。

半年後の‘93年5月、この場所に神社が建立された。神社に名前はないが、いつしか「ソニー神社」と呼ばれるようになった。だが、役員や秘書室関係のごく一部の社員を除けば、その存在を確かめた者はほとんどいない。同社は外部の取材にも撮影にも一切応じてこなかった。

昨年4月、この神社は、ソニーの手によってひっそりと解体された。

これに憤るのが、冒頭の地鎮祭で盛田氏の介添え役を務めた、常陸国出雲大社宮司・高橋正宣氏(71歳)。ソニー神社を建立し、25年間にわたって同神社での祭祀を任されてきた人物だ。

「私は、盛田会長と『200年にわたって神殿を維持し、祭祀をとりおこなっていく』と約束を取り交わしました。ソニーに取り憑いていた怨霊は鎮めましたが、再びそれが解き放たれてしまう。盛田会長の想いを理解しないソニーの行為は、とうてい納得できません」

こう語る高橋氏は、昨年12月17日、ソニーを相手どって、神社の原状回復などを求めた民事裁判を起こした。これによって、25年間、秘中の秘であったソニー神社の内情が明らかになったのだ。訴状と関係者の証言をもとに、真実を明かそう。

盛田氏は、この神社の存在を社員には明かしていなかった。200年にわたって会社と社員を護ってほしいーその想いだけがあったからだ。しかし盛田氏の死後、遺志は受け継がれたのだろうか

「はじめて盛田会長にお会いしたのは、‘91年の12月か、翌年1月のことでした。『社員の病気や事故が多いので、墓か記念碑を作りたい』と相談されたのです」(高橋氏)

だが、この時点では、盛田氏からの依頼をこう言って断ったという。「神事ならば、私どもの出番もあるかもしれませんが、企業墓や、中途半端な記念碑を建てたところで、誰も望まないし、施主様にとって迷惑なだけではないでしょうか」

席を立った高橋氏だったが、数日後の朝、盛田氏からの電話で直接の依頼があったという。「これからヨーロッパに出発しなければならないので、ことにあたって私の代わりに秘書室長に全権を与えた。神事を通じた慰霊を執行したいので、よろしくお願いします」

高橋氏は迷ったが、盛田氏の言葉に勢いを感じ、「はい、わかりました」と引き受けることにした。

重なった2つの凶事

その後、高橋氏は、盛田氏の言う「社員の病気や事故」がなぜ多いのか、ソニーや盛田氏に関連する全国の土地を巡り、調査することになる。その過程で高橋氏は、なぜ盛田氏が神社建立を急ぐのか、真の理由を理解した。

そこには、2つの「凶事」が関与している。

第1の凶事は、‘79年3月16日に起こった。盛田氏の後継者・大賀典雄元社長(当時・副社長)がヘリコプター事故に巻き込まれたのだ。大賀氏自身が日経新聞「私の履歴書」で、こう触れている。《千葉県の木更津工場を視察した際、乗っていたヘリコプターが墜落したのである。パイロットが操縦していたが、着陸寸前に突風にあおられ、機体が地面にたたきつけられた。地表が急に目前に迫り、「もはや私の命もこれまで」と思った。搭乗者はケガで済んだが、助けに来てくれた工場の社長さんたちがローター(回転翼)で死傷する痛ましい事故になってしまった》

死亡した「工場の社長さん」は、鳥山寛恕氏という。ソニー協力会社・館山電子株式会社の社長だった。部下だった今井繁之氏が、事故の経緯を本誌にこう証言する。

「ヘリの前席にいた大賀さんがなかなか出て来られないので、鳥山社長以下3名が救出に向かい、大柄な大賀氏の体をヘリから引きずりだしました。すると機体が軽くなったため、それまで土に刺さって静止していたローターが動き、鳥山社長の頭を直撃したのです」

自分の「後継者」がかかわった死亡事故に責任を感じた盛田氏は、事故の翌日、木更津の現地に駆けつけ、通夜・葬儀に最後まで参列した。「通夜が始まる少し前にいらっしゃって、参列席の端のほうに座り、じっとしておられました。季節はまだ3月でしたので、端の席だと冷えるのに『ここで良い』と仰っていた。鳥山家の親族と一緒に葬儀が終わるまで参列された」(今井氏)

盛田氏の沈痛が伝わるエピソードだ。

盛田氏直筆の文章が埋蔵

そして、第2の凶事が起こったのは、この凄惨な事故から3年半後、‘82年8月のことだ。

盛田氏の義弟で、第4代社長を務めていた岩間和夫氏が、社長在職中に、63歳で病死したのである。若い社長の急逝は、盛田氏に衝撃を与えた。

大賀氏のヘリコプター事故と、3年後の岩間氏の死去のあいだには因果関係があるのではないか。亡くなった鳥山氏の祟りなのではないか。そう考えたソニー幹部たちは、当時「館山電子(株)の会社変遷と事故」と記したメモを作成し、前出の高橋氏に手渡している。このままでは、次々と凶事が起こってしまうーーー。《盛田会長が、切望した慰霊の最大の目的は、本件事故被害者である鳥山寛恕氏の御霊(怨霊)を鎮め、さらに、その後においても、被告(注・ソニー)を、さまざまな災いから、末永く護ることにあった》(訴状より)

当初は、本社ビルを建て直して、その一角に神社を建立する案も高橋氏は出した。盛田氏は「すぐにやろう」と賛同したが、100億円以上のカネがかかると周囲に反対されたという。当時のソニー会館と井深会館のあいだの敷地に、神社は建立されることになった。

折しも、高橋氏は茨城県笠間市で、常陸国出雲大社の社殿の造営を開始していた。それとまったく同様の手法で、ソニー神社は作られた。

具体的には、地上部分には、神霊が宿る柱とされる「心の御柱」が、神殿の中央を貫くように立つ。そして地中には怨霊を封じ込めるために「鎮め物」が入った石櫃が埋め込まれる。御柱と石櫃のあいだは、「神縁結紐」という紐で繋がれる—。

ここで冒頭の地鎮祭のシーンに戻ろう。

深さ2メートルの円筒空間の最深部に埋められた石櫃に、さまざまな「鎮め物」が埋蔵された。

「向こう200年にわたり、この神殿の造営地として使用するために、大国主大神に捧げる『買地券』として、金小判30枚、銀小判51枚が埋蔵されました」(高橋氏)

埋蔵されたのは、それだけではない。盛田会長直筆の文章も、納められていた。「大願意」と題した漢文が、達筆な毛筆で書かれている。訴状をもとに、現代語訳を見よう。

《向こう200年の売地料として金30両、銀51両の売地券を鎮め申し上げる。井深大を中心とした同志で発足した吾が社は創立以来全員の一致協力により今日の発展をみた。この精神が永久に引き継がれ、すべての人が悔いなく健やかな人生を全うするように心から祈念することを心穏やかに聞き届けて下さいますよう、祈りの言葉を祈り申し上げつつ、慎み恐れながら申し上げます》

「平成四年九月二十二日ソニー株式会社代表取締役会長 盛田昭夫」の署名とともに捺印された、「後継者 大賀典雄」という文字もある。ソニーと社員を、これから見守ってほしいとの盛田氏の願いが伝わってくる。

高橋氏が振り返る。

「執筆されたとき、私が『会社の繁栄をお願いしないのですか』と訊ねると、盛田会長はこう言われた。『先生、それは違うんだよ。それは己の努力で克服していくものだ』。さすがソニーを作られた方だと感激しました」

200年の約束が反故に

そして翌年5月に神殿が完成し、同月7日、盛田氏も出席して、物故社員招魂慰霊祭が行われた。

ここでは、400名を超える物故社員の名簿が準備された。ポイントは、この名簿のなかに、社員ではないはずのヘリ事故被害者・鳥山寛恕氏の名前があったことだ。

《物故社員慰霊祭は、表向きは物故社員の慰霊であるが、同時に裏では怨霊鎮めが行われていた》(訴状)ことの証拠だ。

鳥山氏の怨霊鎮め、200年にわたり、従業員を災いから守るのが、神社の目的だったのだ。

以降も、毎年1回、創業記念日の前後に、大賀典雄、出井伸之ら歴代社長が出席して慰霊祭は行われてきた。だが、「盛田会長が病で倒れられてからは、出席者もだんだん減ってきて、社長と一部の幹部だけなど、10人程度になってしまいました」(高橋氏)

’99年に、ソニーとソニー神社の生みの親・盛田氏が逝去する。さらに夫人の良子氏も’15年3月に亡くなり、2ヵ月後の5月、平井一夫社長(当時)が出席した慰霊祭が、最後のものとなった。

ソニーから高橋氏に対し、翌年以降の物故社員慰霊祭を委託しないと通知があったのだ。「盛田会長との200年間の約束です。その強い願いに反することになり、とうてい受け入れられないものでした」(高橋氏)

そしてソニーは、慰霊祭を行わないどころか、’18年4月には神殿の取り壊しを行い、跡地は更地となった。翌5月には地下の掘り返しを行い、石櫃を開いて「鎮め物」も掘り出してしまった。

結果、高橋氏と常陸国出雲大社は、「神殿の取り壊しは、債務不履行、宗教的人格権の侵害だ」と主張し、ソニーを相手取って裁判を起こした。

本誌の取材に、ソニー株式会社はこう回答した。「会社施設の立地見直しのため、本件『お社』を本社に移設しましたが、取り壊しをした事実はございません」

神殿は壊したのではなく、港区港南の新本社に移設したというのだ。だが、具体的な移設場所を問うと、「回答は控えさせていただきます」と言う。

高橋氏らの主張では、地上の「心の御柱」と、地下の「鎮め物」が一体化したのが、ソニー神社の正しい姿だ。仮に地上部分だけ移転したとしても、意味はまったく異なるものになるという。

ソニーは「原告の請求は不当と考えており、請求の棄却を求めております」と言うが、高橋氏は最後にこう語る。「復元していただかないと、怨霊が解き放たれ、ソニーにバチが当たることもある。盛田会長との約束がある以上、そんなことは見たくない」

悪いことが起きないといいのだがーーー。

 

以上全文。

 

 

 

 

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